【今どきゲーム事情】中国コンテンツ産業の重鎮、金庸氏が明かす「中華圏でウケる」コンテンツ開発の秘策
■ゲーム、アニメ、映画、テレビドラマとすべてのジャンルで中華圏を席巻する金庸作品
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これらの事例を前提に、いよいよ歴史創作の本質が、語られていきます。
金庸氏は歴史小説を作り出すうえで、描かれるもののうちの3割のみが史実に基づき、7割は創作であるのが理想という「三実七虚の原則」にふれ、ありのままの真実としての歴史は面白くもなく、美しくもないが、小説では、誇張もできれば、改変もできることがその面白さの根底にあるとし、「三国志演義」をその代表的な例としてあげました。
同時に、文学人として美徳をしっかりと示すことの重要性、それらを好む民衆の心理的普遍性についても言及しました。中国においては、「詩経」に描かれた恋愛歌も、后妃の美徳や正規の夫婦愛が描かれましたが、金庸氏自身の「書剣恩仇録」では、“清朝の乾隆皇帝は、当時、被支配者層の境遇にあった漢民族である”という民間伝承を物語の中で生かすことで、多くの読者から支持を受けることができたと解説。金庸氏は、このような美徳に対する人の意識の普遍性を、西洋の古典文学、明智光秀による信長への裏切り、秀吉のあだ討ちに対する日本人の心情、家康が画策した豊臣家の滅亡に対する、日本人の持つ苦々しい思いなどに触れながら、示しました。
これらを総じて、世の中には、科学・歴史などの「真」に属するもの、宗教・道徳・哲学のような「善」に属するもの、舞・建築・文学等の「美」に属するものがありますが、歴史創作などを含む「美」に属するものは、「真」や「善」とは相違わない面があるとしその特徴を述べました。金庸氏によれば、「真」も「善」もその本質を決して変えることはできませんが、「美」は自ら作り上げられるというのです。つまり地球が太陽を公転するという「事実」や、過去に起きた歴史の「事実」も、それを覆すことは不可能でうが、歴史創作であれば事実とは関係なく自由に「美」を作り上げることができる、「西遊記」がその最たるものであると指摘しました。歴史的事実に基づきながらも筋斗雲の速さは明らかに真実たりえません。しかし読者は、そこに、文学の「美」を見出すことができるのが重要であるとしました。このように人の情感を対象とするのが文学であり、中国の「紅楼夢」も、日本の「源氏物語」も、英国のシェイクスピア戯曲も、その点における普遍性が感じられることを強調。これらすべての小説(すなわち創作)は、心美しき人が悪しき人に遭遇することで心境の変化が訪れるといった、人と集団との遭遇、そしてそこに生まれる内心の変化を描くものであり、この心境の変化に読者が共鳴するか否かが重要だとしました。このような意味で、小説(すなわち創作)は読後に感動を与えるという意味で、他に類しない分野であると結論づけました。
以上が金庸氏が基調講演の内容です。小説家である金庸氏は、文学を中心として展開していますが、ここで語られた創作に関する「真理」は、文学だけにとどまらず、ゲーム産業をも包括する創造産業のすべてに当てはまると感じられます。同時に、50年代から70年代にかけて作り上げられたわずか15の作品が、経済や政治的激動を超えて、いまなお中国人に愛されつづけている理由を示しているように感じられました。
■来場者7000人!ゲーム展示の前には多くのファンが殺到!!
《中村彰憲》
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