増田部長がゲームフリークに入社したきっかけとは ― ファンからの質問に回答

ゲームフリーク開発本部長の増田純一氏は、ゲームフリークに入社したきっかけについてブログ「増田部長のめざめるパワー」で公開しました。

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ポケットモンスタープラチナ発売前夜 12年前を振り返る
ポケットモンスタープラチナ発売前夜 12年前を振り返る 全 8 枚 拡大写真
ゲームフリーク開発本部長の増田純一氏は、ゲームフリークに入社したきっかけについてブログ「増田部長のめざめるパワー」で公開しました。

増田氏は『ポケットモンスター』シリーズを手掛けるゲームフリーク創立メンバーの1人。最近はTwitterを初め、ファンと交流を深めています。

そんな中、あるファンが「ゲームフリークに入ろうとしたきっかけ」について質問。その返信をブログで綴っています。

そもそもゲームフリークは、ゲーム系同人誌サークルで活動が行われていました。自主制作した『クインティ』を発売する際、田尻智氏が株式会社ゲームフリークを設立。これが設立時のお話です。

当時の増田氏は、別の会社に勤めながら『クインティ』の音楽制作に携わります。そして『クインティ』を発売する際、ゲームフリーク設立と同時に1年勤めていた会社を辞めて入社した・・・というお話です。ブログでは学生時代からの話から始まっていますので、ファンの方はぜひチェックしてみてください。

増田順一Twitter:@Junichi_Masuda



『クインティ』が世に出てから7年、途中苦しい時期が続きましたが、最後まで諦めず作り上げたのがゲームボーイソフト『ポケットモンスター 赤・緑』。その後大ヒットし、世界中で愛されるゲームになったのはご存じの通りです。



※『クインティ』は、1989年6月27日にナムコ(現:バンダイナムコゲームス)から発売されたファミコンソフトです。

なお、ゲームフリーク設立や『ポケットモンスター』誕生などのエピソードが書かれた書籍田尻 智 ポケモンを創った男が発売中。ゲームフリークについてより深く知りたい方はコチラをどうぞ。

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