富野総監督インタビュー(上) 「ガンダム Gのレコンギスタ」を語る
『∀ガンダム』から15年ぶりとなった富野由悠季総監督の『ガンダム Gのレコンギスタ』がすでに話題騒然だ。11月5日に73歳の誕生日を迎えた富野総監督に本作について語っていただいた。
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35年たってはっきり言える。「ニュータイプ論はありえない」
1979年の『機動戦士ガンダム』放送開始から35年、以来ガンダムシリーズの人気は拡大の一途だ。そうしたなかで「ガンダム」生みの親である富野由悠季氏が、2014年に総監督として再びテレビシリーズの「ガンダム」に挑んだ。この10月にテレビ放送も開始した『ガンダム Gのレコンギスタ』である。
『∀ガンダム』から15年ぶりとなった富野由悠季総監督によるテレビシリーズ「ガンダム」として話題騒然だ。11月5日に73歳の誕生日を迎えた富野由悠季総監督に、『ガンダム Gのレコンギスタ』を語っていただいた。
『ガンダム Gのレコンギスタ』
http://www.g-reco.net/
『∀ガンダム』
http://www.turn-a-gundam.net/
[取材・構成: 藤津亮太]
―『ガンダム Gのレコンギスタ』も放送が始まりしばらく経ちました。『∀ガンダム』から『OVERMANキングゲイナー』『リーンの翼』を経てまた、ぐっとテンポアップした語り口で、そこに変化を感じたのですが。
富野由悠季総監督(以下富野)
変化させたい、とは考えませんでした。『G-レコ』をどう創るのかと考えていったら、こういうテンポを求めていた、と発見できたのです。
―『∀ガンダム』の時に、全肯定というキーワードで「ガンダム」という言葉を取り巻く全てを包み込もうとした姿勢についてはどうですか。
富野
『∀』の時には、「全肯定」というキーワードにひっぱられて「脱ガンダム」には至っていなかった。「全肯定」というのは「ガンダム」的なものありきの発想ですから。15年経って、「脱ガンダム」を考えた結果が『G-レコ』だったのです。
―「全肯定」からの「脱ガンダム」というのは、それはそれですごく攻めの姿勢ですよね。
富野
このままで死んでいきたくないからですねぇ。……世間を見渡すと、定年退職したサラリーマンがそのままダメになってしまう例はたくさんあります。会社員時代はちゃんとものを考えていた人もそうではなくなってしまう。どうしてそういうことが起こるかといえば、それは会社を辞めた時に勉強も辞めて、仕事というところから降りてしまったからです。
もちろんその裏側には、会社員時代に使い尽くされて疲れ切っているということもあるでしょう。でも一次産業従事者でない人間が、死ぬまでその仕事をしたいと思ったなら、仕事を考え続けるしかないでしょ?それが60歳を過ぎて若い人と仕事をして、認めてもらう唯一の方法です。
そういう気持ちは昨年、宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見て言いやすくなりました。……今年、宮崎さんがアカデミー功労賞を受賞されました。その時に女房に言われたことがあります。
―なんと言われたのですか?
富野
「嫉妬心はわかないの?」とすごく素朴に聞かれたんです。でも、全然そういう気持ちにはなっていなかった。むしろ日本のアニメの仕事がああいう形で評価されたのは良かったと思ってます。
そう尋ねられて気がついたんですけれど、自分にとって宮崎さん、そして高畑勲監督というのは圧倒的な大先輩なんです。宮崎さんは学年的には1つしか違わないですが、僕が虫プロに入って初演出やった少し後にはもう『太陽の王子ホルスの大冒険』を作ってたわけです。だから、自分としては「出遅れた」という気持ちがあるし、10年経って『アルプスの少女ハイジ』に参加して接点ができましたけど、同業者としてはずっと圧倒的だったという認識です。
『機動戦士ガンダム』のころにはそれを悔しいと感じたひとときもあったけれど、基本的にはあとちょっとで手が届きそうな気もするけれど、でも絶対に手が届かない絶対的な存在です。勉強ができる人はそこにいけて、勉強ができない自分は勉強するしかないってことです。こういうことが言えるのも、勉強ができない僕なりにこの15年、勉強をしてきて『G-レコ』を作ることができたからです。
―15年の勉強の成果があるから「脱ガンダム」できたと。
富野由悠季総監督(以下富野)
『G-レコ』は企画開始からカウントするとかなり経っているのですが、最初の3年に考えたものは全部捨てたんです。それは「脱ガンダム」ができていなかったからです。だいたい、「ガンダム」で世界終末戦争みたいなものはやってもしょうがないでしょう。子供が見ないから。しかも、そういうものを「ガンダム」でやろうとすると簡単にできてしまいます。いまさら似たようなロボットアニメを作ったりしたら、今風の言葉でいうなら、そこにはイノベーションがない。それで宇宙エレベーターというものを世界観に取り入れることを思い付いたらようやく「脱ガンダム」の方向が見えてきたのです。
―最初に宇宙エレベーターが登場すると聞いた時は、なぜそれが「脱ガンダム」につながるかしかとはわからなかったんですが、画面を見て納得しました。左右の動きが中心のロボットアニメにあって、画面を縦によぎっていくオブジェクトがあるのはかなりインパクトがありますね。
富野
いわば「ロケット列車」なんですよ。
―発車の時の鐘なんかは完全に列車ですよね。
富野
ちょっとない絵になっているでしょう?ああいう新しい画像感覚が手に入れられたから次にいけるんです。
―宇宙エレベーターから『Gレコ』の世界観確立へはどう進んでいったんでしょうか。
富野
普通にロボットものを作ったら終末戦争になってしまいます。そこから遠ざかるには、感覚を1000年とか2000年とか飛ばしてしまいます。そして、1000年とか2000年とか感覚を飛ばした時の問題は、技術論とファッション論、この二つです。
たとえばファッション論。1000年後になれば、いろんな人種の人たちがいろいろ混交しているだろうから、むしろ社会の中にはいろんなファッションがあるはずです。SFでよく制服みたいな画一的な服を着ている未来像がでてくるけれど、あんなことあるわけがないと考えました。
技術論については、根底にはエネルギー論があるわけだから、現実的にめんどうくさい議論を一切キャンセルするためにフォトン・バッテリーというエネルギー源を設定したことです。こうやって世界観を組み上げていって、ようやく10歳ぐらいの子供たちに「元気にしましょうよね」ということを伝えられるような枠組みが出来上がったんです。ここまで考えると、お話を「アニメって本来バカバカしいものだよね」というレベルにまで落とすことができる、と予定したのです。
―あくまでファッション論や技術論は背景なんですね。
富野
「種」ですね、表面的にはアニメらしいバカバカしいお話なんですけど、やっぱり意識のどこかに何か残るでしょう。
たとえば宇宙エレベーターを見た時「こんなビジュアルがありえるのか」「本当にありえるとしたらどういう形なのか」。やがてそういうことを考える子供もいるでしょう。キャピタル・テリトリィの中核にあるスコード教にしろ、クンタラという言葉にしろ、ひっかかってくれればいい。それはきっと、あとでものを考える時のための「種」になるはずです。とはいえ、それは『G-レコ』の本題ではありません。本題ではないから、見た目以上に触るつもりもありません。そういう要素はお楽しみとは別に仕込んでいるつもりです。
―『G-レコ』を子供に見てほしいというのはそういう側面もあるのですね。
富野
そうです。「元気であることは大事なことだ」という人生訓をちゃんと持てるということはすごく大事なことです。そういう健やかな子供が育てば、今の大人たちのような愚かなところに脚をとられず、なにか健やかな解決方法を思い付く未来がやってくるかもしれない。大きいところでは世界の状況、小さいところでは「ガンダム」ビジネスを展開している人々、そういうものを見ても、僕含め愚民に出来るのは、もうたかがしれているんです。そういう愚民は突然賢くなったしません。人間とはそういうものです。
ニュータイプ論はありえない、というのが「ガンダム」を35年やってきた結論です。だから凡俗に出来るのは、よりよき未来に向けて種をまくことぐらいしかできないと覚悟を決めた、という事でもあるのです。
後編に続く
『ガンダム Gのレコンギスタ』
http://www.g-reco.net/
『∀ガンダム』
http://www.turn-a-gundam.net/
「ガンダム Gのレコンギスタ 1」
2014年12月25日発売
発売・販売元 バンダイビジュアル
税抜価格: 6,000円
「∀ガンダム Blu-ray Box I」
発売中
「∀ガンダム Blu-ray Box II」
2014年12月25日発売
発売・販売元 バンダイビジュアル
税抜価格: 各32,000円
放送開始後、初の富野総監督スペシャルインタビュー「ガンダム Gのレコンギスタ」を語る(上)
《藤津亮太》
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