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1)ゲームは「いつ」評価されるべきか
こうした状況で低い評価が相次ぐ中、発売前のメディアのレビューとの乖離を指摘する声も挙がっています。「あれはクリアしてないから、エンディングを見てないからあんな高い点数なんだ」。ここで、ひとつの疑問が湧いてきます。
ゲームは、クリアしてはじめて、評価できるものなのか?
「終わり良ければ全て良し」ということわざがあります。「物事は結末がもっとも大事であり、その過程はたいして問題ではない」という意味ですが、ゲームにおいてもそれがあてはまるのであれば、エンディングを見ない限り、良いか悪いかの判断はできないのでは、という考え方ができます。RPGというジャンルにおいては、特に顕著で、エンディングという目的において、それまでの道程は手段にすぎない、という考え方もあるかもしれません。
果たして本当にそうでしょうか。本作のエンディングがひどいものだと仮定して、その結末がこれまでの数十時間を全て否定してしまうものになってしまうのか。
「終わり悪ければ全て悪し」―実際にこうしたことわざはありませんが、これに近い意味として、「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく、高い山を作るとき最後のかご一杯の土を欠く)」、あるいは「画竜点睛を欠く」といったものがあります。いずれも物事を完成させるための、最後の仕上げを忘れたり、手を抜くことを意味します。
『MGSV: TPP』の結末は、あえて最後のかご一杯の土を盛らないことで、“永遠の空白”を手に入れようとしたのではないか、つまり、完成させないことでメタルギア・サーガを“終わらせないための”終わらせ方を選択したのではないか?
ただし、これは開発上の問題に起因する苦渋の選択だったかもしれず、もはやかご一杯の土では完成しないことが分かっていたから、あえて盛らないことを選んだのではないか、という悪意のある見方もできます。
もうひとつ言えば、これはアクションゲームです。物語の質がゲームプレイを毀損しない、ということはありませんが、少なくとも『MGSV: TPP』において、ゲームプレイの楽しさを底辺に貶めるほどの影響はなかったはず。
エンディングがどんなに良くても、ゲームプレイに問題があればゲームそのものの評価は良くならない。逆に言えば、エンディングの良し悪しはゲームそのものの評価を極端に左右しない。つまり、エンディングまでプレイしなくても評価することはできる。こう考えるのが自然なことのように思います。ゲームはゲームプレイそのものを目的とすべきであって、エンディングという目的のための手段になるべきではない、と考えます。
2)ゲームは「なにを」評価されるべきか
前述した「キャッチコピー」「未完成」「シリーズ終了」というのは、いずれも外的要因と呼べるものです。キャッチコピーがゲーム中に高らかに謳われることはありません。未完成かどうか、というのはゲームに含まれない部分が外部からもたらされることで、初めて判明する事柄です。なんらかの製品上の問題によってクリアできない、といったことがなく、それなりのボリュームがあり、物語の始めと終わりが(いかなる形であれ)示されている以上、単一の作品としてみれば、これは「完成品」だといえます。
シリーズが終わる、という情報は、単一の作品の評価と関連づけていいものか難しいところがあります。「シリーズ完結!」と喧伝していたならこれを批判することも分かりますが、本作はあくまでメタルギアシリーズの一作品という位置づけでした。シリーズがこれで終わりかもしれないのに、こうした終わり方は残念だ、というのは感想としては分かりますが、ゲームそのものの評価とはいえません。
ゲームを評価するにあたっては、ゲームそのものだけを見ることが大事なのではないか、と考えます。実際にプレイして、そこで体験したことだけが、「ゲームの評価」と呼べるものではないでしょうか。これはエンディングとゲームプレイの関係と同様のものです。情報や噂や結末といった修飾によって、ゲームそのものが見えなくなってしまうのは、もったいないことのように思います。エンディングに至るまでの数十時間を楽しめたなら、それは他の事柄と切り離して評価してもいいのではないかと思います。
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個人的な結論としては「『MGSV: TPP』は、様々な外的要因によってメタルギア・サーガを全て引き受けることになってしまった。結果的にその重みに耐えられず、作品単体としての評価をも落としてしまった」「サーガを“終わらせないための”終わらせ方を選んだことで、作品単体としても未完成品という印象を強くしてしまった」のだと考えます。
いつかこの猛烈な砂嵐が止んだとき、あらためて『MGSV: TPP』というゲームそのものの評価が、よりクリアに見えてくるのではないでしょうか。
記事提供元: Game*Spark