【インタビュー】水木一郎の熱すぎるアニソン愛、“45年間アニソン一筋で歌い続けられてきた理由”を訊いた

今回、3月21日の顕彰式を控えた水木一郎にインタビューを敢行。受賞の感想から、45年間アニソン一筋で歌い続けられた理由、アニキから見た現在のアニソンシーンまで、幅広く語ってもらった。

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アニメソング界を代表する歌手・水木一郎氏が、東京アニメアワードフェスティバル2016「アニメ功労部門」を受賞した。同賞はアニメーション産業・文化の発展に大きく寄与した人物を顕彰するもの。2016年も演出、アニメーター、プロデューサー、原作者、声優、音響、美術、脚本などの分野から10人が選ばれた。水木一郎氏もその一人だ。

水木一郎氏は『マジンガーZ』『バビル2世』『宇宙海賊キャプテンハーロック』など数々のヒット作の主題歌を歌い、黎明期の頃よりアニソン界を牽引し続けてきた。パイオニアとしての功績はあまりにも大きい。また後進の育成にも尽力してきた。

今回、3月21日の顕彰式を控えた水木一郎にインタビューを敢行。受賞の感想から、45年間アニソン一筋で歌い続けられた理由、アニキから見た現在のアニソンシーンまで、幅広く語ってもらった。

◆アニソン一筋で歌い続けてきた理由は?

――東京アニメアワードフェスティバル2016アニメ功労賞受賞、おめでとうございます。

水木:ありがとうございます。

――まずは受賞のご感想からお聞かせください。

水木:アニソン歌手として歌いはじめた頃は、こういった賞を受賞できるなんてこれっぽっちも思ってなかったんです。「子どものために良い歌を残したい」「ヒーローの気持ちを歌に乗せて伝えたい」という一心で歌ってきただけですから。最初はアニメソングに対する周囲の偏見もありました。そこから第一次アニメブームが巻き起こって、僕らアニソン歌手や制作者さんたちが注目されるようになったり、知らぬまにアニメとともに海を渡って、世界規模で歌が知られるようになったり。そう考えると「継続は力なり」といいますか、浮気もせずアニソン一筋でやってきてたことが評価されたんだなと。

――この45年間“アニソン一筋”で歌い続けられてきた理由は?

水木:最近、僕が紹介された道徳の教材(*)にも書かれていますけど、僕は無個性な人間なんです。個性的な声の歌手がたくさんいる中で、僕のような特徴のない声はなかなか日の目を浴びることがなかった。「いっそのこと喉をつぶしてしまおうか……」とまで考えていたときに、ちょうど『原始少年リュウ』(1971年)ではじめてアニソンのオファーがあったんです。

*2015年4月より採択された小学3年生向け道徳副読本「3年生のどうとく」(文溪堂)に水木一郎氏の評伝「アニメソングの帝王に - 水木一郎」が掲載された。

――最初アニソンを歌うことに抵抗は?

水木:当時はアニソンの評価は低かったですし、ジャケットに顔が出ないことも分かっていた。でも、僕はもともと映画音楽が大好きで、「映画音楽だって顔が出ない、同じだ!」と思ったんです。

ところがいざ歌ってみると、全然オッケーが出なくてね……。難しくてすごく苦労した。そこで「ヒーローになりきる」ということをはじめて覚えたんです。リュウになりきって歌ったらすぐにオッケーが出た。もし「水木一郎を出してやろう」となったら絶対にダメだったと思うね。

――ヒーローになり切って歌う、というのは今でも変わらず?

水木:変わらないですね、全然。

――でも、無個性が逆転して、水木さんの強烈な個性につながっているのは面白いです。

水木:そうですね。無個性だったからこそ、特定の色に染まらずに、ありとあらゆるヒーローになりきることができた。そのおかげで「マジンガーZ」にめぐり合うこともできたし、「キャプテンハーロック」から「がんばれロボコン」まで、ジャンルを問わずたくさんの歌に恵まれたんです。『おかあさんといっしょ』で歌のお兄さんをやったときも「この人が『マジンガーZ』を歌っている人なの?」とほとんど気づかれませんでしたから(笑)。

――「アニソン以外も歌ってみたい」という気持ちは芽生えませんでしたか?

水木:アニソンから離れたいと思ったことはなかったですね。ただ、実をいうと、「ある程度歳を重ねたらジャズをやりたいな」とは思ってたんですよ(笑)。ところが「ルパン三世 愛のテーマ」のレコーディングをしているとき、「これ、ジャズじゃん!」と気づいて。ほかにも演歌調の曲があれば、ロックもあり、コミックソングもある。だからべつに“浮気”する必要ないなって。
あと、アニソンの魅力を知れば知るほど、悔しい思いもたくさんしてきて、「アニソンはもっと正当に評価されるべきだ、アニソンに市民権を!」とすごく燃えていたんですね。

――バラエティ番組に積極的に出演されているのも「アニソンを広めたい」という想いからですか?

水木:そう。だから赤いマフラーを付けて、「ゼェェット!」って叫んでるんです(笑)。

◆“アニソン愛”がないといけない

――アニソン界の先駆者からみて、現在のアニソンシーンはどう映っているのか、お聞きさせてください。

水木:アニソンを一生懸命歌ってきた身からすると、「間違った方向にだけは行ってほしくないな」と。それだけが気がかりで。これまでアニソンはそれを聴いて育つ子どもたちのために大人たちが愛と情熱を傾けて作り上げてきたもの。だからこそ、時代を越えて歌い継がれるクオリティの高い音楽がたくさん生まれたんだと思う。でもこれからもし「アニソンって儲かるもんだろ?」という歌い手や作り手が出てくるようなことがあったらきっとダメだなと。後輩には口を酸っぱくして言うんですけど、やっぱり“アニソン愛”がないといけない。

――昔と比べ、今はアニメソングも多様化していますが、それについてはどう考えておられますか?


水木:僕らはゴールデンタイムのアニメ番組で子どものために歌ってきました。今、深夜帯の作品で歌っているアーティストは、子どもを相手にするものではないので、彼らなりのアニソンを歌うことにはなるんでしょうね。でも、気をつけないといけないのは、アニソンは日本独特の個性があって世界に広まったわけですから、そこは忘れないでもらいたいな。多様化という意味では、アニソンはもともと、音楽のジャンルをまたいで自由な発想で作られてきたんです。流行りの音楽の後追いではなく、本当の意味での多様化はむしろ歓迎するべきだと思っています。

――今は「アニソン歌手になりたい」という人も増えていますが、そういった方や後輩へのアドバイスがありましたらお願いします?

水木:僕が若いころは、いろんな歌手のレコードを聴いて勉強してね。シャンソンやカンツォーネ、ジャズ、アメリカンポップス、詩吟まで全部やった。いま誰かのアニソンを聴いて、その憧れだけで「わたしもアニソン歌手になりたい」というのは、難しいと思う。その人のマネになってしまうし、追い越せない。

アニソンだけでなくいろんなジャンル、それも日本だけでなく世界中の歌を勉強してもらいたい。そうすると、歌の引き出しが増えて、深みも出てくるから。僕はこの45年間アニソンを歌ってきて、持ち歌は1200曲くらいあるんだけど、それも引き出しだけはたくさん持っていたからだと思いますね。

――今後のアニソン界に望むことはありますか?

水木:ちょっと話は飛びますけど……。ジャズでたとえるなら、スウィングジャズが全盛期のころに、モダン・ジャズが登場して「こんなのジャズじゃねーよ!」と叩かれながらもひとつのジャンルとして確立していった。あるいはロックだと、(エルヴィス・)プレスリーのロックンロールが「こんなの歌じゃねー!」とコテンパンに批判されながらも、のちの音楽史に大きな変化をもたらした。そんなことがアニソンでも起きてほしい。若手の力でアニソン界はどんどん変化していくだろうけど、僕らが築き上げたものを理解したうえで新しいことに挑戦してもらえると嬉しいね。

◆アニソンは日本が世界に誇る文化

――水木さんは、国内だけでなく、アニメ・アニソン文化を世界中に広げたことも大きな功績だと思います。

水木:それは、やはり日本のアニメが世界中で愛されているからこそですよ。もともと「日本人がどんなに頑張っても世界で認められるのは難しい」と思っていたんですよ。でも、あるとき「海外ではもうずっと前からアニメが放送されていて、水木さんの歌も人気ですよ」という話を聞いたんです。まさか、と思いましたね。後に海外公演でそれが現実だと初めて知りましたが、日本語のままで世界に通用するとは思いもしませんでした。僕の歌を聴いて育った子どもたちが世界中にいたことは嬉しい驚きでしたね。

アニメソングに魅せられたのは、アニメファンだけではありませんでした。ディミトリ・フロム・パリというフランスの有名なDJからオファーがあって、『マジンガーZ』のエンディングテーマをセルフカバーしたんです。ディミトリは当時、番組自体は見ていなかったようですが、レコードをジャケ買いして聴いてみたら「すごく良い曲だ!」と。それでイギリスの偉大な歌手、トム・ジョーンズに話を持っていったりもしたものの、やはりオリジナルシンガーに歌ってもらおうということで、ダメ元で僕のところに話を持ってきた。日本の子どもたちのために作られたアニメソングは、海外のアーティストが一目を置く音楽性も兼ね備えていたんですね。

――アニソンアーティストが海外でライブを行うのは今となっては珍しくありませんが、水木さんはその先駆者でもあったと思います。

水木:ぼくが最初に海外でアニソンライブを行ったのは、2001年の香港でした。ミッチ(堀江美都子さん)と一緒に2日間ね。海外でアニソンが人気だとは聞いていたけど、実際に行ってみるまでは半信半疑でしたね。

――海外へも積極的に行かれるようになったのは、そのときの衝撃が大きかったからですか?

水木:うん、もうびっくりしたね! 会場のみんなが日本語で一緒に大合唱するんだからね。ライブが始まって早々に、スタンディングオベーションで拍手が鳴りやまないから、次の歌が歌えなくなっちゃうくらいだったよ。ファンからの反響もすごかったし、こんなにも多くのメディアが集まるのかと驚いた。街を歩いていても、ふつうに声をかけられて「え、なんで知ってるの?」みたいな(笑)。ネット社会になって、過去の記憶を今の情報で補うことができるようになったからかな。最近ではウィキペディアに「水木一郎」の解説が90言語で掲載されているというのも、おもしろい現象だよね。

――海外ファンの盛り上がりを肌で感じていかがですか?

水木:日本で最初にアニソンブームが巻き起こったころの「激しさ」みたいなものを感じるね。興奮し過ぎて泣いちゃってる人もいるし。きっと「子どもの頃から聴いていた歌だ!」という感動と、「まさか目の前で聴ける日が来るとは思わなかった」というプレミアム感があるんだろうね。

あと、『マジンガーZ』はどこの国でも盛り上がるんだけど、国によって人気のある歌が少しずつ違うのもおもしろいですね。まだ行ったことのないところでは、イタリアで『鋼鉄ジーグ』、中東では『アストロガンガー』、フィリピンでは『ボルテスV』がすごく人気があると聞くので、ぜひ現地で歌ってみたいですね。

――今後も海外へアニソンを広めていかれますか?

水木:もちろん! 海外のファンからたくさんラブコールをいただいているので、求められている限りは、できるだけその思いに応えたいと思いますね。

◆最高齢現役歌手を目指して、声が続く限り世界中のファンのみんなに会いに行きたい

――アニソンデビューから約45年間、振り返っていかがでしょう?

水木:この45年間、アニソンの持つ無限の力を信じて頑張ってきました。どんな状況にあっても、地道にコツコツと、目の前の子どもたちのために歌い続けてきました。継続は力なり、ですね。でも、みなさんが「水木一郎」という木が育つように水を与えてくれなかったら芽は出なかった、というのが正直なところです。またアニメ・アニソンがひとつの産業として大きくなり、携わる人達がたくさん増えたのも嬉しい。日本が世界に誇る文化として評価されるようにもなりました。今回の功労賞受賞は、アニメソングを支えてくれたファンや関係者のみなさんのものでもあります。そういった意味でも、心から嬉しく思います。

――アニソン歌手として今後どのように活動していきたいですか?

水木:こんなすごい賞をいただいちゃったりすると、プレッシャーで自由が効かなくっちゃうかもしれないけれど(笑)。でも今までやってきた45年間が無駄じゃなかったんだと思うと、感慨深いですね。

アニソンを歌っていると、年をとるのを忘れてしまいます。こうなったら、最高齢現役歌手を目指してみようかな。声が続く限り、日本の津々浦々、世界中のファンのみんなに会いに行きたいです。アニソンは世代を越え、言葉の壁も文化の違いも越えてしまう不思議なパワーがあります。もしかしたら、宇宙人にもこの声が届くかもしれません。

――楽しみですね。では、今後のご活躍も期待しています!


[取材・構成:沖本茂義]

東京アニメアワードフェスティバル2016
http://animefestival.jp/ja/

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