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ニンテンドースイッチで『ザ フレイム イン ザ フラッド:Complete Edition』を遊んだ。このゲームはとにかく始まった瞬間が最高だ。世界は大洪水でほとんど滅んでしまったかのような状態、もはや死を待つのみと絶望しそうなところに一匹の犬が現れる。そいつはなんらかの無線信号を発する機械を持っているのだ。
それならば、信号の発信源を突き止めるためにイカダで川を下ろう。もしかしたらそこには安全な楽園があるかもしれない。だが、待ち受けているのは激流と危険な野生生物たち。手持ちの食料や水は極めて少なく、道中で何か見つかるという保証もない。いや、そもそもこんなボロいイカダで遠い無線信号の発信源までたどり着けるのか?
緊張と不安を胸にいだき、プレイヤーはイカダの舵を取る。しかし、BGMとしてフォークロックが流れた瞬間になぜかワクワクとした気持ちが溢れてしまうのだ。先にどんな困難があるかわからないというのに。いや、それこそがサバイバル系ゲームの醍醐味だ。未知の場所へ足を踏み入れるということは、とてつもなく怖いと同時に好奇心をどうしようもなく刺激してくれる行為なのである。
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……と私は本作を楽しんだのだが、正直なところ一番おもしろいと思ったのはこの最初のところで、あとはプレイを続けると次第に緊張感がなくなってしまう。なぜかというと、プレイし続けるとだんだんと仕様がわかってしまうのだ。
このゲームはオートセーブなのだが、セーブのタイミングが一定なのでそれを理解すると任意でリセットを行うことができてしまう。大きな怪我をしてしまったら、取り返しのつかない行為をしてしまったら、一度終了させてしまえばそれをなかったことにできるのだ。こうなると極端に死にづらくなり、サバイバル感は一気に減ることだろう。
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また、主人公を襲う野生生物たちにも特殊な仕様がある。連中は仕様上どうしても入ることができない場所があり、もし襲われるようなことがあったらそこに逃げ込めば良いということがいずれわかってしまうのだ。こうなれば動物園で檻の外からかわいい動物を眺めているのと大差がなくなってしまう。
無論、これらはゲームの仕様を突いた悪質なプレイとも言える。しかしながらこれらを利用しないにしても、結局は後半になると物資が安定しすぎて退屈になるのだ。薬がたくさんあるから多少の怪我なんてどうでもいいし、水がたくさんあるからろ過フィルターなど捨ててしまうし、雨が降っても雨宿りをする必要はない。どうせ回復アイテムはいっぱいあるのだから。……と、生き残らねばと思っていた熱い気持ちが失われてしまうのだ。
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これは一見すると『ザ フレイム イン ザ フラッド:Complete Edition』のゲームバランスに原因があるように見えるが、実はそれだけの問題ではない。もちろんうまく調整すればもう少し緊張感を保てると思われるが、結局のところゲームを知れば知るほど「こういう状況ではこうすればいいだろう」という安定するパターンが産まれる。どちらかというとこれは“サバイバルもののジレンマ”と言えよう。
◆『マインクラフト』やアニメから見る“サバイバルもの”の問題
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サバイバルといえば、有名すぎるサンドボックスゲーム『マインクラフト』にもサバイバルモードがある。これは食料や素材を集めつつ、同時に自宅や装備を作ってブロックだらけの世界をいかに生き残るかというモードだ。死ねばアイテムを失ってしまうし、しかしながら冒険をしなければ未知の素材は手に入らない。
あなたははじめて『マインクラフト』のサバイバルモードを遊んだ時の感情を覚えているだろうか? いきなり爆発する緑の物体に遭遇したり、夜はゾンビのうめき声におびえたり、あるいはアイテムの作り方がよくわからず四苦八苦したり、ようやく家を作れたと思ったら四角いプレハブみたいで笑ってしまったかもしれない。
しかし慣れてくるとこのあたりはどうでもよくなる。まずは木を切り、次は石で道具を作り、ベッドを用意したら小麦や肉の準備をする。地下に潜って鉄を採ったら今度はダイヤモンドを目指し……と、効率良くプレイすることを覚えてしまう。もはやこうなってしまった時点でサバイバルとしての価値はなくなり、むしろブロックを積み上げて物を作る楽しみのほうが上回るのだ。
『マインクラフト』のケースの場合、プレイヤーの知識がサバイバルとしての魅力を失わせると言うべきだろう。何が起こるかわからないからサバイバルをするのが楽しいのであって、そこを既に知っているとそもそもの前提が成り立たないのである。
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ゲームのみならず、サバイバルもののアニメも同じような問題を抱えていた。2003年にNHK教育テレビで放送されていた「無人惑星サヴァイヴ」という作品があるのだが、これも俯瞰して見るとなかなかおもしろいのである(単純にアニメ作品としてもなかなかおもしろいのでオススメだ)。
本作は、少年・少女たちが原始時代の密林のような世界に飛ばされてしまうというところから物語がはじまる。最初は食べ物を探すのにも苦労しており、優れた文明の元で過ごしていた彼女らにとって原始的な生活をすることがどれほど大変なのかひどく思い知らせることになり、サバイバルものとしておもしろいのだ。
しかしながら、彼女らが家を完成させると話の質が変化してくる。明らかに問題を起こすだけのキャラが目立つようになったり(しかもそいつの声は石田彰なので笑える)、謎の宇宙人が出てきたり、そしてその宇宙人が脱出の鍵に関わっていたり……。もっと話が進めば脱獄囚が出てきて問題を起こしてくるし、なんだかラブコメのようになったり……。要はテコ入れが激しくなっていくのだ。
最初はサバイバルだったのに、次第にSFやら人間模様が描かれるようになっていく。こういった構成になっているのは当然で、たとえばずーっと食料・物資集めに奔走するようなストーリーだとしたら、その作品はとてつもなくつまらないだろう? また、サバイバルものは「食料や物を集めて主人公たちがきちんと生活できるようになっていく」という部分が必要なので、結局のところ話が進めば進むほどサバイバルから脱線しがちなわけだ。
◆安定を求める心、サバイバルを求める心の矛盾
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前述のようにサバイバルものの楽しみは、未知の場所へ足を踏み入れる行為によって恐怖と好奇心を満たすということだ。しかし、その場にいればだんだんと知識はついてくるものだし、生活が安定しなければ作品として退屈になりがち(もし食料や物資がなくてすぐ野垂れ死にするのであれば、それはサバイバルものというより悲劇という形で描かれやすい)。これこそが“サバイバルもののジレンマ”と言えるだろう。
ただこのジレンマ、人間の生活にそっくりなのだ。そもそも我々は安定した生活のほうがストレスなく過ごせることは間違いなく、人類がここまで発展したのもそれを求めていたからだろう。しかしながら生活が安定してくると途端に退屈を感じるようになってしまう。おそらく、“サバイバルもののジレンマ”は、人間自身が感じる“安定を求める心と好奇心を求める心の矛盾”そのものに大きく関連しているのだろう。
『ザ フレイム イン ザ フラッド:Complete Edition』を遊び、私は改めてサバイバルものの楽しさが“一瞬のきらめき”と言えるほどすぐに消えてなくなってしまうことを知った。しかしそれは飢えている状況を少しだけ思い出させてくれると同時に、自分が安定した状況にいる喜びも教えてくれるのだろう。