■マルタの出典~『新約聖書』と『黄金伝説』~
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マルタは紀元1世紀~2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた、『新約聖書』に登場します。当時のユダヤ(現代のパレスチナとイスラエルにあたる地区)という国の、エルサレム近郊のベタニヤに住んでいたとされています。また、1267年頃に完成したヤコブス・デ・ウォラギネによるキリスト教の聖人伝集『黄金伝説』では、南フランスのタラスコンに移り住んだ後の悪竜タラスクとのエピソードが書かれています。
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つまり、マルタはキリスト教が誕生した時代に居合わせたわけです。ここでキリスト教と当時の時代背景をおおまかに説明します。
『新約聖書』の前半ではイエス・キリスト(以下、イエス)の生涯が、後半ではイエスがいなくなった後の弟子たちによる伝道活動が書かれています。マルタが登場するのはイエスが宣教活動をしていた3年間です。
イエスは30歳から宣教活動を始め、33歳でゴルゴダの丘に磔にされた後、3日目によみがえって弟子たちに全世界に福音を伝えるように言い残し、神の御許に帰ったと伝えられています。ちなみに現在の西暦は、イエスが生まれたとされる翌年を元年(紀元)とした測定法です。
イエスが生まれたのはエルサレム近郊のベツレヘム。当時のユダヤはローマ帝国の属州でした。ローマの重税によって抑圧されたユダヤで、貧しい生活を送っていた住民たちは、イエスが生まれるまでのイスラエル民族(ユダヤ人のルーツ)と神の歩みが書かれた『旧約聖書』で預言された救い主の誕生と救済を待ち望んでいました。
イエスの宣教活動期間3年間では、預言された救い主がイエスであると信じた12使徒を中心とした人々と、それを信じずに神に与えられた律法を人々に教える律法学者たちとの対立が描かれています。
■マルタとイエス・キリスト
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もうお分かりかと思いますが、『FGO』においてマルタが言う「彼」とはイエスのことです。マルタには弟ラザロと妹マリヤがおり、家族ぐるみでイエスと親しくしていました。マルタとイエスのエピソードは2つあり、イエスの接待をした時と弟ラザロを病で亡くしてしまった時です。
イエスの接待
イエスが多くの弟子を連れてマルタの家に来た時、料理など接待で忙しくしていたのがマルタでした。猫の手も借りたいほど忙しかったのですが、ふと気が付けば妹のマリヤの姿がありません。なんと、マリヤは手伝いをせずに、弟子たちと共にイエスの足下に座って話に耳を傾けているじゃありませんか。
マルタはイエスの元に行くと、「妹のマリヤが私だけに接待をさせているのを見て、何とも思わないのですか?妹にも私の手伝いをするようにおっしゃってください」と頼みます。『FGO』のマルタの性格を考えると、頬をピクピクさせながら怒り心頭な姿が思い浮かびますね。妹を無理矢理引っ張っていかなかったのは、かなり自分を抑えたのではないでしょうか。
しかし、イエスからは思いがけない言葉が返ってきます。「マルタ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っているね。無くてはならないものはたった一つだけだよ。マリヤはその良いほうを選んだのだから、彼女から取り上げてはいけないよ」。このマルタとマリヤの態度の違いは、どちらも優劣はなく、キリスト教では伝統的に「活動的生活」と「観想的生活」を現していると考えられているようです。
弟ラザロの死
ある時、ラザロが病気だと聞いて駆けつけたイエスでしたが、時すでに遅く、ラザロは4日前に息を引き取っていました。イエスを出迎えたマルタは、「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と落胆を見せます。
マリヤも家から出て来て、イエスの足下にひれ伏して泣いて悲しむのを見ると、イエスも涙を流しました。それから「ラザロの墓穴(土葬)を塞いでいる石を取り除きなさい」と命じて、神に祈ってから「ラザロよ、出て来なさい」と言うと、ラザロが生き返って出て来たのです。この場に立ち会った多くの人がこれをきっかけに、イエスを神の子と信じたと書かれています。
■キリスト教徒としてのマルタ
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『新約聖書』に書かれたマルタのエピソードを読んですごいなと思ったのは、生き返らせたこともそうですが、イエスがマルタやマリヤの悲しみに共感して泣いたことです。『新約聖書』では神の子とされるイエスが貧しい人、病んでいる人たちの苦しみに共感する場面が度々出て来ます。
また、初代ローマ教皇とされる12使徒の筆頭格ペテロは、初めは漁師を生業にしていましたが、イエスに出会った際に「わたしがあなたを、人間を取る漁師にしてあげよう」と声をかけられています。他のメンバーにしても、貧しい人に嫌われていた徴税人という職についていたマタイ、過激テロという見方もできる熱心党員のシモンなどが選ばれました。しかし、12使徒は後に全員が殉教したと伝えられるほど命懸けの宣教活動をしており、イエスの見る目に間違いはなかったと言えます。
貧しい人や病んだ人の側に身を置き、身分や教養などに惑わされずに人の本質を見ることができるイエスだったからこそ、マルタは慕い、イエスの死後も南フランスに渡って宣教活動をしたのだと思います。『FGO』においては、マルタは悪竜タラスクを見離すことをせず、教会の教えに反したとしても一緒に歩んだというエピソードは胸を打ちます。
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余談ですが、水着マルタのスキル「ヤコブの手足」は、先祖とされるイスラエル族長ヤコブに由来。『旧約聖書』において、ヤコブは神が使わした天使と格闘して勝利しています。スキル「天性の肉体(海)」といい、ヤコブから伝わる格闘法といい、やっぱり聖女というよりは戦いの申し子のイメージが強いですよね。
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