2001年10月22日に北米で発売されたRockstar Gamesのオープンワールドゲーム『Grand Theft Auto III(グランド・セフト・オート III)』(以下、『GTA III』)は、2021年10月22日に発売から20周年を迎えました。
『GTA III』が与えた影響は大きく、ジャンルとしての「オープンワールド」のスタイルを確立させたことや、ゲームに対する暴力表現批判など業界における動乱を世界中で起こしていました。あの『GTA III』というムーブメントは何だったのか、グラフィックが刷新された『グランド・セフト・オート:トリロジー:決定版』が発売された2021年現在からナンバリング3作目を振り返りましょう。
ナンバリング3作目にして3Dゲームになった『Grand Theft Auto III』
『GTA III』はその名の通り、『Grand Theft Auto』シリーズのナンバリング3作目に当たるタイトルです。パズルゲーム『レミングス』シリーズの開発で知られる英スコットランドのDMA Designより開発されたタイトルで、1997年のPC/PS向けにリリースされた第1作目の初代『GTA』はトップダウンで展開されるクライムアクションゲームでした(開発初期段階では、プレイヤーが警察官となり犯罪者を追い詰める『Race'n'Chase』として計画されていた)。
初代『GTA』が97年当時として強く自由度を求める姿勢には、当時DMA Designの共同設立者であったDavid Jones氏が、リニアなゲームより自由なゲームを好むことから来ていると1997年当時のインタビューで語っています。また2年後の1999年に続編となるPC/PS版『Grand Theft Auto 2』がリリースされ、翌年にはドリームキャスト/ゲームボーイ版が登場しています。
『GTA III』の開発がいつから始められたかは現時点でも明らかにされていませんが、2001年10月初旬に行われた『GTA III』ディレクターであるLeslie Benzies氏へのインタビューによれば、開発者の趣向はそれぞれ異なるものの、他のゲームより影響を受けたタイトルはマイクロソフトのレースゲーム『Midtown Madness』や、id Softwareの『Quake』を筆頭とした様々なFPSが挙げられています。また開発の設計段階において、チームのメンバーで「ブリット」や「スカーフェイス」などのクライム映画を週に1度のペースで鑑賞し続けたこともあったそうです。
他にも技術的な分野に関しては、PS2のメモリ容量である32MBに対応させるために、処理に時間が掛かる自動生成で無く、ストリーミング技術を採用。ストリーミング技術は、当初音楽とマップのジオメトリのみに利用するつもりでしたが、その効果が明らかになるにつれ歩行者やテクスチャーや、車などを追加したと語られています。
2002年にはPC版リリースに関するインタビューで、Dan Houser氏は『GTA III』の音楽について「ゲームミュージックを新しいレベルに引き上げた」と振り返っており、PS2版における反響の大きさから映画音楽と同じぐらいの影響力を持つとも加えています。他にも、シングルプレイの体験について非常に革新的であると振り返るものの、マルチプレイに関しては同じような進歩を遂げることが出来ないことからPC版でも収録しなかったと語ります。
また2001年9月11日に発生した米同時多発テロの影響を受け、10月2日に予定していたリリースを様々な理由から延期し、最終的に北米で10月22日に発売しています。この時に内容に変更が加えられ、テロリストに関連した1つのミッションや、歩行者の会話とラジオトークが削除され、パッケージデザインやパトカーのデザインも変更。しかしながら、影響を受けたのは全体の約1%であると10周年記念のQ&Aにて答えています。
一方日本国内では2001年12月18日の時点で海外PS2版『GTA III』が輸入販売されていましたが、『GTA III』が本格的に注目されるようになったのは2002年3月発表のPC版から。これまでPC版はズーからローカライズされてきたこともあり国内での発売も大きく注目され、『GTA III』日本語マニュアル付英語版という形式で国内発売されたのは、北米での発売日2002年5月21日より約1ヶ月後の6月28日でした。この時制作されたズーによる『GTA III』の日本語公式サイトは現在でも観覧可能です。
日本語版の発売は2003年6月にカプコンとTake-Twoが提携したことで実現。『GTA III』発売前には18歳以上を対象とした店頭体験イベントを開催すると共に、渋谷にて『GTA III』をテーマにしたバーを期間限定でオープンするという力の入れようです。他にも当時として内容が過激であることから、PS2日本語版が2003年9月25日にリリースされることに対し、一部ゲームショップでは驚きを持って受け入れられていました。
なお『GTA III』が登場する前の段階でフランチャイズは450万本の売り上げを達成しており、欧米において全くの無名ではありません。『GTA III』は日本のみならず米国などを含めた欧米圏でも問題作として取り上げられながら、約1450万本の売り上げを達成しています。
主人公が裏切られ続けるドライな『GTA III』の物語
『GTA III』のストーリーは、武装強盗犯の1人だった主人公(当時は名前が無い)がカタリーナを筆頭とする仲間に裏切られ警察に捕まるも、護送車輌が襲撃されたことで脱出を果たし、ポートランドの隠れ家を拠点に様々な仕事を請負うことで活動の場が広がっていくというもの。
ストーリー展開に注目すると、主人公はポートランドのサルバトーレファミリーのルイージやトニーから、他のギャングに対する暗殺や破壊工作などを繰り返し、サルバトーレファミリー内部で信頼が上昇。しかしながら、依頼主であるサルバトーレが主人公への不信感から暗殺が企てられるものの、愛人のマリアから陰謀を聞き出し彼女の友人であるアスカの手を借りてストートン島へ脱出します。
その後アスカの手を通じて前の依頼主であるサルバトーレへの暗殺や、実業家ドナルド・ラブによるギャング同士の敵対工作などが展開され各勢力の首領が消されるか、首謀者がリバティーシティの地を去ることで様変わりしていきます(ケンジやアスカも殺され、ドナルド・ラブやレイも去ることを考慮すると、最終的にポートランドにいる一部の依頼主しか残らない)。
最終的に主人公を裏切ったカタリーナへの復讐を成し遂げることも含め、これら多くの出来事から少なくとも『GTA III』の物語は復讐と裏切りが物語を動かす原動力であることが浮かび上がってきます。この「復讐」と「裏切り」のテーマは、後のシリーズ作品である『Vice City』や『San Andreas』、そして『GTA IV』などでも形を変えて描かれていることにも気付きます。
『GTA III』にある薄らとドライで冷たい印象は、主人公が一切喋らない事に加え寡黙な傭兵や殺し屋のように一切意思表示をしないことによって現れているとも思える部分です。
バイオレンス、自由度、音楽…『GTA III』で示されたオープンな世界
ゲームプレイは、チュートリアルを兼ねた最初のミッションをクリアすれば制限もなく自由に行動が可能となり、それ以降好きなタイミングでミッションを進められるようになります。ミッションからミッションの間には何も制限が無く、消費してしまった弾薬や失った車輌などを再調達することや、街を探索し、隠し要素を集めて武器を増やすなども可能です。
『GTA III』が特徴としているのは、街の住人がどの歩道でも一定数出現することや、シームレスなマップ構成によってほぼロードが存在せずに島中を歩き回れるところ(しかしながら、島から島への移動では読み込みがある)。
本作が特徴付けているのはシームレスで広大な島だけでなく、通行人が持つインタラクティブ性の高さです。通行人がいるところで銃撃戦が始まれば、応戦したり叫び声をあげて逃げ、車が爆発すれば野次馬が密集。他にも、通行人が事故などで犠牲になれば救急車が到来し通行人を蘇生することや、車が炎上すれば消防車が消火しにやってくるなど住民に対する反応も存在します。通行人の反応だけ見ていれば、どれも大げさな動きをしており、どことなくコメディチックにも見えます。
『GTA III』のバイオレンス性についてDMAのLeslie Benzies氏は、2001年2月のインタビューの最後で、バイオレンス性はコメディによってずっと抑えられ、本作が都市における純粋なファンタジーであると前置きしつつ、本作が無差別な暴力でなく犯罪にフォーカスした作品であり、通行人に暴力を振るっても決して何かを得られるわけではありませんが、それがなければ十分な自由度を与える事が出来ないと言及しています。
またミッションの内容はシンプルである一方で縛りも小さく、特定の車輌を襲うミッションであれば重く頑丈なトラックなどを用いて追突を繰り返すことや、裏切りを想定したミッションなら防弾性の高い車輌を使い攻略するなど様々な手段を用いることも出来ます。ミッション種類によっては銃撃戦だけでなくカーレースやボートアクション、カースタント、救急車や消防車などによる人助けなど様々なジャンルがシームレスに繋がっていますが、どれも乗り物が主体となっていることから本作の特徴を体現しているようです。
他にも、車に乗り込めば現実のラジオと劣りしないゲーム内のカーラジオが流れてくるところにも本作の魅力が詰まっています。収録楽曲の方向性としては誰もが知るヒット曲が入っているわけではなく、収録曲も少ないためゲーム後半になればなるほど物足りなさが目立ちますが、クラシック音楽からヒップホップ、そして映画「スカーフェイス」の劇中曲が流れるラジオ曲もあることも含めジャンルは多彩でした。
PS2版には自由に動かせるカメラがありませんでしたが、後発のPC版ではマウス+キーボード操作への対応によって自由照準が可能となり、MP3に対応し車に乗っている間はCDなどで取り込んだ曲をカーステレオ的に流せることも特徴の一つでした。
『GTA III』を冷静に見つめ直す20周年という区切り
『GTA III』はミッションの合間における行動に強制がないことや、シームレスで巨大なマップを車やボートに乗り込みドライブを楽しむことなど、本作が前代未聞の巨大なヒットを成し遂げたことも含め、PS2世代のゲームにおける「自由度」を表現したゲームの金字塔にもなりました。
またナンバリングとして見てみると、『GTA III』は初代と『II』を含めた喋らない主人公を踏襲しつつも、後の『Vice City』や『San Andreas』の以降のシリーズ作に通じるミッション開始前のシネマティックなカットシーンなどが盛り込まれていることから、新要素と過去作の持ち味が混ざる過渡期の作品であることに気付きます。このバランスは、世界的なヒットを記録し評価を得る前の段階だからこそ出来たものであるとも思えるのです。
また『GTA III』を振り返るうえで避けることが出来ないのが、ゲームに対するバッシングの話題です。『GTA III』が発売されたゼロ年代は、90年代から続くゲームによる悪影響が世間から強く懸念されていた時代でした。
これは欧米だけで無く、日本国内でも強い関心を持って見られていたこともあり、2002年には「ゲーム脳の恐怖」が出版されたことでも形となっていました。その中でも、『GTA III』絡みの大きな出来事としては、2005年に神奈川県による有害図書類指定を受けたことを発端に、埼玉県や大阪府などでも同様の措置がとられたことが挙げられます(これに関する審議に疑問があったことも後年指摘されている)。
以降2021年現在に至るまで『GTA III』で起きたようなセンセーショナルで過度な論争は少なくなりつつあります。また多くの研究の1つとはいえ『GTA』シリーズなどにおける、バイオレンス性の高いゲームへの悪影響は結果的に無かったという結果が20年という歳月を感じさせます。
『GTA III』はPS2以外にもXbox版とPC版が販売されていましたが、2011年にリリースされたiOS/Android向けの『グランド・セフト・オートIII: 10周年記念版』は、日本版において追い打ちが出来ないなど細かな規制があるものの、解像度やフレームレートの改善だけでなく、ミッション失敗時のリトライ機能や死亡/逮捕ペナルティの軽減など遊びやすくアップグレードされているため、オリジナルに近いバージョンを遊ぶには程よい調整が施されています。
また11月11日には、『GTA III』を筆頭とした『Vice City』と『San Andreas』の3作品をリマスター化した『グランド・セフト・オート:トリロジー:決定版』がPC/現行機向けにリリースされたので、一作目のエッセンスを味わいつつ、今でもプレイするのは容易です。
当時の熱狂を知る人にとって『GTA III』が20年も経過した古い作品であると受け入れるのは容易なことではありませんが、オープンワールドや自由度など『GTA III』から本格的になったムーブメントの20年を思い返しつつ、遊び直してみてはいかがでしょうか?