ネトゲで一旗上げたい人必読! ベンチャー系オンラインゲーム開発企業トップ座談会 第1回
2007年12月、インサイド編集部にエンタドライブ 久永智之氏、ゲームポット 植田修平氏、シグナルトーク 栢孝文氏、ハイファイブ・エンターテインメント 澤紫臣氏をお迎えし、ベンチャー系のオンラインゲーム開発企業4社の社長による座談会をおこないました。全5回の掲載で、第1回目はそれぞれの会社がどのようにスタートしたのか。オンラインゲームによる起業の舞台裏です。聞き手はインサイド編集人 伊藤雅俊です。
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
■1995年、「インターネット元年」に話はさかのぼり……
澤:今回、全然こう完全にスタイルがかぶっていないですね。
全員:確かに。
久永:皆さん同じだと思うんですけど、なんとか他と違うところいかなきゃと思ってるところがあると思うんですよ。スタイルが違うなりの、ある種の共感みたいなものがあるというか。まあ、植田さんとは10年ぐらいの付き合いになってるので、そんなレベルじゃないんですが。
植田:僕は大学卒業して最初はゲーム会社に入ったんですよね。それで、初めて他の営業マンと知り合う機会があったんですね。営業の新人だったときに、秋葉原で初めて優しく声かけてくれたのが久永さんだったんです。95年とかですかね。
久永:LAOXかT-ZONEか、どこかそのへんですよね。95年か、私はEAにいた頃ですね、ちょっと話逸れますけどWindows95の時、私、福岡のベスト電器の本店でWindows95のイベントに付き合ってました。サクラで来いとか言われて、売ってましたね、思い出した思い出した(笑) 多分、この中で一番年齢が高いと思うんですけど、この商売、考えてみたら17年とか18年とかやってて、現場でコンシューマーほとんど触らずにPCゲームだけでやってきているというのはだいぶ珍しくなっちゃった。植田さんは両方手がけてましたもんね。
植田:そうですね。コンソールと両方やってましたけど、あの時代はPCの洋ゲーしかなかったんですよね。(編注:植田氏のいたイマジニアは当時、マイトアンドマジックやColin McRae Rallyといった海外ゲームの日本語版をリリースしていました)
栢:95年だと、私ゲームについてはユーザーですね。私、セガに入社したの99年ですから。
■「インターネットでウルティマ? 嫌だ、売りたくない」
《伊藤雅俊》
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