【ファミコン生誕30周年企画】『FF3』が教えてくれた、人生の哲学

本企画をうかがったとき、30年間分の思い入れが詰まったファミコンタイトルがたくさんあることだろうとまずは楽観視しました。さあどれを選ぼうか。そして、記憶を掘り返したところ……浮かばないのです。強烈な思い入れのあるタイトルが。

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ファミコン生誕30周年! なんとめでたいことでしょう。筆者は今現在ジャスト三十路。3歳のころにファミコンを買い与えられて以来、コタツの上でマリオの真似をする、母親にはマリオ柄のセーターを縫ってもらう、ファミコンをジャイアントスイングして遊ぶ(でも壊れない)など、いわばファミコンとともに育ってきた世代と自称しても過言ではないでしょう。

本企画をうかがったとき、30年間分の思い入れが詰まったファミコンタイトルがたくさんあることだろうとまずは楽観視しました。さあどれを選ぼうか。そして、記憶を掘り返したところ……浮かばないのです。強烈な思い入れのあるタイトルが。

理由は単純明快です。子供のころにそんなたくさんゲームを買ってもらえるはずなんかない、ただそれだけ。「彼」と同世代であることは確かなのですが、存外コミュニケーションがなかったのです。

とはいえ、ファミコンから人生の多くを学んだことも事実。ひとつひとつ、埋もれかけた記憶の糸をたどり、ひもときました。そして見出したタイトルは複数ありましたが、私はその中からベストとして『ファイナルファンタジー3』を選びます。


なぜか。『FF3』とは口髭に定評のある坂口博信氏がディレクターを務めプログラマのナーシャ・ジベリ氏はノーチラスの伝説的16倍速スクロールを実現した人物でいわば影の立役者でありグラフィックは天野喜孝氏による唯一無二の世界をファミコンドット絵で再現した奇跡的な完成度でありゲームバランスも絶妙で……と、このへんはおいておきましょう。みんな言っていることです。

『FF3』が私に教えてくれたのは、人生の厳しさや難解さといった類の哲学です。よくよく考えてもみてください、『FF3』がリリースされたのは1990年4月。私は当時じつに7歳です。クリスタルの輝きがどうとか、物語面での趣などさっぱりわかりません。ただひたすらクリアに向けて突き進むのみでした。その過程で得られたのが、重要な教訓たちです。


まず、「セーブデータが消えました」。ラストダンジョン突入手前の出来事です。誰が悪かったわけでもありません。きちんとリセットボタンを押しながら電源ボタンは切っていましたし、ACアダプタを引っこ抜くこともありませんでしたし、バッテリーバックアップが音を上げるような時期でもありませんでしたし、ハードウェアにもソフトウェアにも問題はなかったでしょう(……まあ、ほんの少し私がデリケートなケリを入れたかもしれませんが)。それでも消えたのです。頭のなかが真っ白になったのを今でもよく覚えています。

以来、私はバックアップ行為を重視するようになりました。当時はセーブデータをまるごとROMカートリッジの外側に写し出す手法は真っ当にはありませんでしたので、ゲーム以外での話です。たとえば、今日あったこと、思ったこと、感じたこと。それらを精緻にメモする癖がつきました。いつしかその悪癖はおさまりましたが、今でも尾を引いており、重要なデータ(例えば音楽データや写真など)を何重にもバックアップしています。振り返って考えると、今の私の「バックアップ癖」は『FF3』が原因です。教訓なんてものは痛くなければ覚えません。


次に、「クリアできませんでした」。そりゃあそうでしょう、無理です。小学校1年生や2年生があんな無茶苦茶なラストダンジョンをクリアできるはずがありません。もちろん、今となってはそれなりに難しいという程度で、いくらでも攻略できることはわかります。しかしネットはおろか攻略本すらなかった当時、あまりにも壁は分厚すぎました。さらにいうと、ぶっ続けで3時間も4時間もゲームをプレイすることを容認してくれるほど両親は寛容でありませんでした。今から思えばありがたいことです。親の心子知らずの典型ですね。

ここで学んだことは「諦め」です。やればできるなどという無責任な幻想を私は『FF3』によって捨て去りました。根性論や精神論ではなく、内的・外的要因によりどうにもならないことは多々あるのです。親の目を盗みこっそりと(ついでにファミコンが物理的にホットになりながら)プレイして進め、なんとかたどりついた暗闇の四戦士たちにいろいろワカらされてしまったとき、私は心に刻み込みました。「無理なものは無理」と。たぶん当時10歳になっていなかったはずです。


最後に、「ポーション99」です。当時は裏ワザやらウルテクやらなんやらと呼ばれ、完全な外法ながらも幼心に異様なカタルシスをもたらしてくれた例のテクニックです。今でこそあのバグの正体がなんだったのかおおよその予想はつきますが、当時は何がなんだかわからないまま物凄いことが起きているようにしか感じられませんでした。あるいは、神秘性すら感じていたのかもしれません。高度に発達した(またはしなかった)プログラムは魔法と区別がつかないということでしょう。

じつのところ、アイテム変化を駆使しても結局クリアはできませんでした。しかし、「無理だから諦めろ」の心の声に、「使えるものはなんでも使え、手段を選ぶな」の精神が抗ったことを特筆せねばなりません。小学生の知性と知能をもとに、あらゆる錬金術へ手を染めました。そして通常のプレイではありえない装備を整え、圧倒的な戦力を序盤にして有するようになり、ついでにセーブデータが消えました。やはり無理なものは無理……いや違います。創意工夫があったのです。『FF3』は、諦めと同時に執念を叩きこんでくれました。さらに、ゲームの「仕様」の概念について基礎的な部分を教えてこんでくれたともいえるでしょう。


私にとっての『FF3』はかくのごときものです。本作の面白さや素晴らしさはすでに語り尽くされているので今さら私のようなケチなゲーマーが申し述べるべき点はないでしょう。とにもかくにも、"素晴らしい作品"に出会った少年がどのようにその作品を味わったのか、そういうお話です。どんな辛酸も、楽しいゲームならいくらでも舐められました。スゴいゲームのいち条件といえるかもしれませんね。

あ、あとボス戦のBGMが最高でした。

著者紹介
Gokubuto.S
Game*Sparkのライター

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《Game*Spark》

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