超有名キャラを会社に無断で使用!?“Dr.ワタリ”の流血事件!?─あの噂は嘘か誠か、「やりすぎセガ伝説」で真実が明らかに【TGS2020】

「クリエイター自身によるセガの公式ファンクラブ会報」の噂にも迫りました。

その他 全般
超有名キャラを会社に無断で使用!?“Dr.ワタリ”の流血事件!?─あの噂は嘘か誠か、「やりすぎセガ伝説」で真実が明らかに【TGS2020】
超有名キャラを会社に無断で使用!?“Dr.ワタリ”の流血事件!?─あの噂は嘘か誠か、「やりすぎセガ伝説」で真実が明らかに【TGS2020】 全 50 枚 拡大写真

「セガ本社で有名クリエイターが流血事件の被害者になったことがある」



ここまでの噂は比較的平和なものが続きましたが、三つ目は事件性すら匂わせる「セガ本社で、有名クリエイターが流血事件の被害者になったことがある」といったもの。


2009年に起きたこの出来事は、当時のセガ本社1号館の脇にて、意識を失った人が倒れてるのを警備員が見つけたところから始まります。


これだけでもただならぬ事態ですが、この異変を受けて社内を調べたところ、2号館の6階でも人が倒れており、しかも流血しているとのこと。また、部屋に入るガラスも砕かれており、その破片も散乱。


この事態に対処した警備員や駆けつけた総務部員の方は、非常に驚いたと証言。しかし、今回の一件を役員に報告したところ、「穏便にすませてやってくれ」との返事が。

1人目(仮称 O)が意識不明で倒れ、2人目(仮称 W)は流血。しかし、役員からは「穏便に」との指示。果たして、当時何が起きたのでしょうか。


この一連の流れを分かりやすく振り返ると、まずは20時に行われた宴会に端を発します。部署内の交流を促すため、ある役員が部署の面々を焼き肉屋へ連れていきますが、そこにはOとWの姿も。

21時にマッコリを飲み始め、酒が回ったせいか、Wは役員に絡み始めます。そこで、もっと飲ませて大人しくなってもらおうと、22時15分にチャミスルも注文。しかし酒が回ったのはOの方で、22時30分に寝てしまいます。

一方、Wの勢いは留まるところを知らず、23時に「W 役員を(自粛)」とのこと。この(自粛)は、時系列をまとめたフリップに貼られたシールで、当時Wが役員に何をしたのかは分かりません・・・が、自粛シールを貼られてしまう類の行為だったのは間違いなさそうです。

更にトドメになったのが、目覚めたOのリバース。宴会がすっかりカオスとなり、24時に解散となりました。


そしてここから、冒頭で判明した事態へと繋がります。まず、本社に自転車を置いていたOが、酔っていたため転倒し、本社1号館の脇で失神。

またWは、本社に泊まろうと思って戻ってきたもののカードキーが見当たらず、ガラスを割って部屋に侵入しました。その際に腕を怪我して出血したものの、酔いのせいで痛みがなく、そのまま机の下で就寝。そんなOとWを発見した警備員の驚きは、想像に難くありません。


噂の真相が明らかとなり、更にOとWの実名報道にも踏み切ります。0は、『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド オーバーキル』のプロデューサーなどで知られる岡部城氏。


またWは、『電脳戦機バーチャロン』シリーズファンにはお馴染みの“Dr.ワタリ”こと亙 重郎氏でした。役員の「穏便にすませてやってくれ」発言は、事件のもみ消しではなく、恩情としての言葉だったのでしょう。


今回の噂は本当でしたが、被害者は加害者でもあり、複雑な一件と言えます。最後に教訓として示された、「混ぜるな危険! マッコリ&チャミスル」「そしてカードキーは忘れるな」の言葉が、重く感じられます。

「クリエイター自身によるセガの公式ファンクラブ会報があった」



今から約30年前に、ゲームの開発者が自前で会報を作っていた──四つ目の噂は、ひとつ前と比べるとかなり平和な内容ですが、クリエイター自身が作っていたという点が気になります。


この噂に関わる人物として、吉田徹氏と西村真人氏が登壇しました。この両名が、どのような形で噂に関わっているのでしょうか。


まずは、ファンクラブの名前にもなった会報誌「SPEC」をお披露目。かなり立派な冊子のように見えます。ちなみに「SPEC」は、「セガプレイヤーズエンジョイクラブ」の略です。


当時のゲーム販売店などにファンクラブの入会申込書があり、記入して送付すると「SPEC」の会員になれるというシステム。スマホはもちろんインターネットもない時代なので、郵送でのやりとりでした。


ちなみに会員になると、会員証も届きます。そして会員証を手にしている西村氏は、実は「SPEC」の会員でした。「SPEC」が発行されている時はまだ入社前で、8号が届くころに入社。特に『ファンタシースター』シリーズに惚れ込んでいたようです。

そして吉田氏は、「SPEC」を手がけていた初期メンバーのひとり。入社1年目という初々しい時期に、ファンクラブの会報誌発行に携わっていました。


吉田氏によれば、「SPEC」が始まったのは1988年の夏くらい。当時の営業や販売の方から「会報誌を配りたい」との意見が持ち上がり、なぜかその話が開発に届きます。その結果、現役クリエイターらが、本業の合間を縫って「SPEC」の発行を手がける形に。

最初の「SPEC」は16ページくらいでしたが、だんだんとページが増えていき、表紙もカラーになるなど、見応えのある会報誌へと成長します。ですが、その分作業が増え、負担も大きくなっていきます。


発行期間も次第に伸び、半年や1年に1回といったペースに。時には、発行の遅れを知らせるお詫びを送ったこともあったとか。

そんな、手作り感溢れる会報誌「SPEC」の制作は、「92年でギブアップ」したと吉田氏。8号まで発行され、9号の原稿も6割ほど集まったものの、新しい「SPEC」は作られなかったそうです。

なお、9号向けに用意された吉田氏の原稿は、「青本」の愛称でも知られる攻略本「ファンタシースターオンラインエピソード1&2アルティメット クエスト×レアアイテム編」に掲載。約10年の時を経て、日の目を見ることができました。


また、『ファンタシースター』シリーズの最新作に当たる『ファンタシースターオンライン2』の開発スタッフが中心となって制作している公式同人誌「P-SPEC」は、当時の「SPEC」から名前を取っているとのこと。開発者が直接作る会報誌という流れは、セガの中で今も受け継がれています。




  1. «
  2. 1
  3. 2
  4. 3
  5. 続きを読む

《臥待 弦》

この記事の写真

/
【注目の記事】[PR]

関連ニュース