【DEVELOPER PROFILE】第11回 デジペン工科大学
デジペン工科大学についてあるだけの資料を使ってなんとか纏めてみました。
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デジペンの創業者のClaude Comair氏の父親はベイルートの成功した医者でした。彼は息子も家業を継ぐように期待し、それに応えてフランスの大学で医学について学びました。しかしレバノンに戻るとベイルート大学にエンジニアリングを学ぶために入学し、父親を驚かせました。卒業後は日本に渡り大学で研究員をしながら、アニメーションについて学び、1988年にはカナダ人の妻とカナダの市民権を得て移り住みました。
1988年、30歳だったClaude Comair氏はサイエンス関係のソフトにアニメーションを提供する「DigiPen Computer Graphics Inc」を立ち上げました。彼はもっと事業を拡張する為に芸術的な才能がある人材を発掘するために、バンクーバー・アート・フィルムスクールでトレーニングコースを設けました。すると100人を超える応募があり、彼は驚いて会社内にそのような施設を作ろうと考えます、「DigiPen Applied Computer Graphics School」という名称でした。
そんなある日、彼は北米にゲームのプログラムを教える学校が無いことを知ります。彼は別の学校を立ち上げることを決定します。任天堂の協力で施設やスペースなどを提供して貰えました。これは1994年の事で、バンクーバーにキャンパスを構える2年間のクラスでした。1995年からは3Dアニメーションの教育も初めて、96年には最初の卒業生が巣立っていきましたす。
しかし2年間のクラスではスペシャリストを養成するのには時間不足だと任天堂やClaude Comair氏は考えるようになります。そこで、1998年にはシアトルにキャンパスを移して4年制のクラスへと変わります。名称は「デジペン工科大学(DigiPen Institute of Technology)」となりました。もちろん米国では初めてのゲーム開発に必要な技術が学べる4年制大学でした。この際にはEAやアクティビジョンで実際のゲームを開発してきたChristopher Erhardt氏などの人を講師として多く招聘しました。
デジペンは形式的には任天堂から独立しています。しかし後述するようにキャンパスは任天堂オブアメリカの本社ビルの中にあり、多数のPCを提供するなど非常に強い関係を持っています。デジペンの運営委員会にも任天堂の代表者が出席します。また、任天堂は多数の学生をインターンシップで受け入れていて、キャリア形成に大きな貢献をしています。
学生は毎年500〜600人が試験を受けます。最初の1994年にはなんと1200人もの応募がありましたが、最近は幾分落ち着いてきて、大体2割を取ります。選抜はとても難関で、例えばプログラマーの場合は数学と物理の成績が大事で、高校で数学と科学の評定が3.0以上ある必要があり、更に2人から推薦状を貰ってこなくてはなりません。これに達しない場合は面接があります。大学の審査官のJames Chuは質問は「0゜のコサインは?」など簡単なもので、「迷った場合は落とす」と説明しています。
しかしデジペンは規則をよく曲げます。あるときPatrick Meehanという学生が面接を受けにきました。彼は成績上の理由で試験に落ちました。しかし彼は「オーランドから自動車を運転してわざわざ受けに来た」という事が認められて入学しました。
「ドンキーコング大学」の学費は年間12,000ドルにもなります。しかし多くの学生はあまり気にしません。卒業すれば大手のゲーム企業が初任給30,000ドルで幾らでも選択できるからです。
デジペンのシアトルキャンパスは任天堂オブアメリカの本社ビルの中にあります。学生はそれぞれ個室を与えられ、もちろん高性能なPCも与えられます。しかしラウンジも体育館もラグビーチームも無い、食べるところも通りを下ったセブンイレブンしかないというスパルタな環境です。
しかし、彼らも普通の若い学生で、爪を黒く塗ったり、髪を立てたり、ジーンズと「Bite Me.」のような文字のTシャツを着ています(少し前の話ですので・・・)。しかし規則は厳しいようで、全ての学生は常にICチップ入りの学生証を身に着ける必要があります。もちろん沢山授業をサボると退学に。「業界のファームチーム」としての厳しさはデジペンが学士を与えることを認可したワシントン州高等教育局も認めるところです。卒業生の1人Vivek Melwaniも「困難を極める、果てしなく、集中力に集中力が必要な仕事のよう」と話しています。
現在デジペンには2つの学士課程があります。3DコンピューターアニメーションとRTISです。前者はMayaや3DS MAXでアニメーションを身に付けます。後者は一般的なプログラムを学びます。両方の学生は単に技術だけでなく、ゲームを開発する上で必須なチームワークやプロジェクトの進行といった事柄まで身に付けます。2003年にはあわせて52名を送り出しています。
学生達は朝9時から始まり夜10時まで講義とホームワークをこなします。そのうち2時間を昼食とディナーですごすことが許されます。土曜日は5時間ラボに居る必要があります。それでも逃げ出す学生は居ないといいます。
デジペンの卒業生の95%は任天堂を始めとするゲーム会社に就職します。もちろんデジペンの実力を身につけた卒業生の多くは他の同期の人間より高い報酬で雇われるそうです。また、デジペンの優秀な学生を欲しがる企業は多くて、卒業前に引き抜かれていく学生も多いそうです。しかし、大学は一足先に開発者として働く学生を歓迎しているそうです。
最後にデータを幾つか。デジペンの学生は7割がアングロサクソン系、1割がアジア系です。女性は36人で7%です。出身州はミシシッピ州以外の49州。出身国ではカナダ・コロンビア・エクアドル・英国・フランス・ドイツ・イタリア・メキシコ・韓国・台湾・タイ・ウクライナ・ベトナムと日本からは未だ居ないようです。就職先はNSTを始めとして、コナミ・EA・マイクロソフト・ソニー・インタープレイ・ネバーソフト・パラダイム・サミーと大手が殆ど出ています。
デジペンと関連してくるのが任天堂ソフトウェアテクノロジーですが、こちらについては今後調査の上報告したいと思います。設立されたのが1998年で当時NOA社長の荒川氏がClaude Comair氏やScott Tsumura氏に呼びかけて設立された会社です。Comair氏もチェアマンとして参加しています。
参考文献
・A future in time-wasters(Macleans、1994年4月4日)
・The school where its ok to major in fun and games(Smithsonian、1996年12月号)
・Donkey Kong University will award bachelors degrees in video-game design(The Chronicle of Higher Education、1997年1月31日)
・Pomp and circuitry(Newsweek、1998年5月2日)
・Imagine, a Degree In Video Games DigiPen Offers One --- But Students at This College Are Too Busy With Math To Do a Lot of Playing(Wall Street Journa、1998年10月13日)
・Nintendo University(The New Republic、1999年8月30日)
・New Schools Spring Up to Satisfy Demand for Computer Animators(New York Times、1999年12月30日)
・Game Boys(People Weekly、2000年10月2日)
・Game schools finest minds(Rolling Stone、2003年2月3日)