【任天堂資料庫】第1回 任天堂の系譜

現在の任天堂という社名に落ち着くまでに「山内任天堂」だとか「任天堂骨牌」という名前を名乗っていた時期があるというのは任天堂ファンなら一度くらいは聞いた事があるかもしれません、しかし任天堂が3つの系統あったという事を知る人は余り居ないのではないでしょうか。まずは下の系譜図をご覧下さい。山内房次朗氏が創業してから現在までの系譜です。

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現在の任天堂という社名に落ち着くまでに「山内任天堂」だとか「任天堂骨牌」という名前を名乗っていた時期があるというのは任天堂ファンなら一度くらいは聞いた事があるかもしれません、しかし任天堂が3つの系統あったという事を知る人は余り居ないのではないでしょうか。まずは下の系譜図をご覧下さい。山内房次朗氏が創業してから現在までの系譜です。



このように任天堂は3つの系統がありました。山内房次朗商店から始まって次第に業務を移管していった山内任天堂、山内任天堂が出資して設立した丸福から今へと続く系統、そして主にアーケードを管轄する為に設立された任天堂レジャーシステムです。

丸福は当初、山内任天堂の新製品の販売の為に設立されました。これが丸福かるた販売と名を変え、次いで製造業務を継承し、任天堂かるたとして製造販売を一手に引き受けました。恐らく山内任天堂はこの時点で事業を行わない会社になっていたのではないかと思われます。任天堂骨牌と名前を変えてからはトランプ事業を開始し(28年)、次いでディズニートランプの製造を開始しました(34年)。

山内任天堂は46年に営業を止めています。その直後の48年からは業務用に参入し、機器の販売や保守の為に新会社、任天堂レジャーシステムを設立します。これは62年に解散しています。

現在まで続いているのは丸福から続く系統です。山内任天堂が解散したかどうかの確認は取れていません。というのもこの会社は任天堂の株式を500〜1000(*100)株程度を所有していて、平成5年の四季報まで姿を見せています。その後は名前が確認出来ませんが、毎年上位20中20位辺りにあったので、もしかすると現在も21位以下ではあるが、存続はしているという可能性もあります。

以上任天堂の国内のヘッドクゥオーターの移り変わりを簡単にまとめてみました。


参考文献
・主要企業の系統図(神戸大学・経済経営研究所・経営分析センター)
・四季報ほか

《土本学》

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