VRの伝道師、GOROmanこと株式会社エクシヴィ代表取締役社長 近藤義仁氏が語る、国内におけるVR向けHMDムーブメントのこれまでとこれから―中村彰憲「ゲームビジネス新潮流」第46回

本誌の読者ならご存じのとおり、「ゲームビジネス新潮流」を冠したこの連載はほぼ1年間にわたりVR関連の企業に対しインタビューを敢行してきました。これらのインタビューで常に遭遇する名前がありました。GOROman氏(または近藤氏)です。

ゲームビジネス VR
VRの伝道師、GOROmanこと株式会社エクシヴィ代表取締役社長 近藤義仁氏が語る、国内におけるVR向けHMDムーブメントのこれまでとこれから―中村彰憲「ゲームビジネス新潮流」第46回
VRの伝道師、GOROmanこと株式会社エクシヴィ代表取締役社長 近藤義仁氏が語る、国内におけるVR向けHMDムーブメントのこれまでとこれから―中村彰憲「ゲームビジネス新潮流」第46回 全 11 枚 拡大写真

映像で伝わらないなら、体験させろ!GOROmanのVR伝道がはじまった!

近藤:なので、ノートパソコンを背負って、飲み屋でもどこでも行くようにしたんです。バイトをしていたスタッフでも誰でもとにかくかぶせて反応を見るようにしました。みんなやると「凄い」って言うんです。その延長上でいろいろな企業に回り始めました。例えば、ゴンゾ創業者の村濱さん(※村濱章司氏)などです。その他にものすごいたくさんの人に見せていて、それで出会った人の名刺が片手いっぱいの高さになるほどでした。名刺管理アプリをみたら3900人になっていたので、その位の人にはすくなくとも見せていたと思います。

実に様々なひとたちにDK1のデモをしていた近藤氏

――なぜ、そこまで情熱をもってとりくめたのでしょう?

近藤:なんか、危機感みたいのもありましたね...コレが次のプラットフォームやインフラになるのではといった思いです。

――DK1のときから?

近藤:はい。単純に面白いし、スゴイなと思ったんですよ。Johnny Chung Lee方式でつくったときにピンときた感じが、300ドルで出来るようになったと。PCにさえ接続すれば。このビビビッっていう感覚が、過去、パソコンをはじめて触ったときや、PalmPilotのようなPDAをつかったとき、あとはインターネットの前時代にはやっていたパソコン通信をしたときの感じとすごい似ていたんです。脳がワクワクする感じですね。もともと、僕は凄い早めに手を出して、一般に広がる前に飽きてしまいあまりビジネスにならないっていうことが多かったんです。日本でオンラインゲームが流行る前から欧米ではやった『WarCraft2』とかやってたのもそうです(笑)。TCP/IPに対応していない時代のネットゲームをプレイしてたりとか。時代の一番のはじまりのフェーズに立ち会うんですけど、一般化する前に飽きてしまってるという...継続は力なりでやっていれば儲かっているのではということが結構あります(笑)。で、もどりますが、VRでも同じ気持ちになったんです。これはビジネスになるし、生活を変えるだろな...と。思わずその気持ちをTwitterでも綴ってしまいました。

当時のコメントのいくつかから。VRの未来を見据えたようなコメントがされていた

近藤:そして、その後も、KADOKAWAやDMM など大手企業にはひととおり見せていきました。だいたい各社のトップの方々に見せていました。

――いきなり社長にとかですか?

近藤:結局、時間もムダになってしまうので、なるべく最初から偉い人に見せるようにしています。私自身も会社を経営している立場なので。経営者もつながっているので、ある会社の社長に見せると、面白いからということで別の社長を紹介してくれるんです。先ほどの話だと、村濱さんに見せることでKADOKAWAの役員の方につながるという具合です。ネットワークが蜘蛛の巣のように繋がっていく感じです。なので、2013年のときはとにかくいろいろな人に見せました。

――DK1の時代の皆さんの反応はどうでしたか?

近藤:正直、評価は良くなかったですね。私自身は技術者なのでこれが発展したらこうなるというのを予見できるのですが、「解像度が低すぎて酔っちゃうデバイス」という印象を持っているようでした。

――経営者としてはその判断はどう感じましたか?

近藤:経営者としては正しいですね。僕は両面を持っているので理解は出来ます。僕自身はプログラマーをしつつもハードも触りながら今は会社の経営もやっているので、ひととおり全部やってきているんです。なので、経営リスクも分かります。DK1の段階で投資をしても回収の見込みも立たないということは。ただ、これはインターネット初期と同じで、その当時は全然ビジネスにならないという状態が続きました。「NASAのホームページが見れて嬉しい」と歓喜していたような時代です。お金の臭いがしてきたのはプロバイダー業務が事業として成り立ちはじめた頃でしょう。そのような事を言っている間にインターネットのベンチャー企業が続々と出てきたんです。当時は、DeNAやグリーといった会社などは存在もしてませんでした。楽天やAmazonなども突然大企業になっていったわけです。そのような中で、VRというものが便利なモノになる、もしくはみんなが使うものになるというイメージが漠然とですが浮かび上がってきたんです。ということで、どんどんと皆さんに見せていったんです。

――当時から受けがよかったコンテンツとかはあったんですか?

近藤:ジェットコースターの受けはよかったですね。『Rift Coaster』っていうんですが。鉄板ですね。視覚情報だけで浮遊感を味わえるので。あれに、驚くひとも多かったです。同時にVR酔いをしてしまいダメだったひともいましたが...その他にはホラーモノや海の中に入るもの、バーチャル・シアター、そして自分で作ったVRアプリなどを見せてました。相手がどのような会社のひとかで見せるコンテンツは合わせてましたね。

―――準備するのが大変ですね。

近藤:コンテンツ自体はノートパソコンに大量に入れてあって、相手の時間と好みをあわせて適切なタイトルを選んで見せるということをしてました。ソムリエですね(笑)。

――VRソムリエ?

近藤:だって、アニメとか全く興味ない人にアニメキャラのVR体験 をしてもらっても不快な顔をされますからね。逆にコンテンツ会社 にはこれ!映像系だったらバーチャルシアターや実写VR作品を体験してもらってました。使い分けです。

――実際に『Mikulus』などご自身で開発されてどうだったんですか?

近藤:キャラクターと目を合わせることができるということが、どれほどスゴイことかということを実感しました。これまでのゲームソフトでは、キャラクターと目が合ったと実感するまでには至らなかったからです。目線があったとしても、こちらを見てくれているという感覚までは得られなかったんです。それがVRだと出来たんです。これは、『サマーレッスン』などもそうですが、キャラクタープレゼンスや、キャラクターがユーザーを認知していると錯覚してしまうことがすごいですよね。承認欲求を満たしてくれるということで、これまでのテレビやゲームでは得ることが出来なかった感覚だと感じました。それもあってキャラクターモノをつくるようになったんです。

VRの梁山泊?!GOROman主催のVR体験会で次々と集まるVRビジネスのプレイヤーたち

――(藤原氏に向かって)この当時、DK1についてはどう思われていたんですか?

藤原:当時社長がDK1の体験会をするとTwitterで宣言したときにそれが気になって北海道からわざわざ上京したんです。

――体験会?

近藤:そうそう。あの頃、「会社を使ってDK1の体験会をやるのでやってみたい人っ!」とTwitterで募集をかけたんです。そのとき、DK1を持っているひとを募ったら、2人がそれに応じてくれて僕のもあわせて3台でデモをしたのですが、そのうちの1人が当時グリーにいた井口(※Oculus Japanチームの井口健治氏)さんで、もうひとりがドワンゴのMIRO(@MobileHackerz)さんでした。そのときは8人位が来てくれました。

藤原:私が参加したのはその次の会ぐらいですね。当時、私は北海道の釧路市にいたんですが、もともとVRの研究をしていて自作でVR関連のコンテンツをつくっていたり、Kinectを応用したポジショントラッキングを開発したりとかしていたんです。そしたら、ある台湾人のユーザーがOculus Rift向けに何か開発するべきと薦めてくれた。そこに近藤社長が作った初音ミクのコンテンツがリンクされていたんです。そこで、近藤社長のツイートを見ながら、気になって「雇ってください」というツイートを送ったとき、ほぼ同時に私自身のプロジェクトを見ていた社長から「ウチと一緒にやらない」というツイートが送られたんです。ニコニコ学会のマッドネスで発表したとき位にOculusを調べて、その後、近藤社長とTwitterを通して交流するようになり、2013年6月には入社してました。
近藤:すべてTwitterつながりですよね。普通に採用してないんです。Twitterを通して知り合ったほうが相手のアウトプットが明確じゃないですか。履歴書とかを見てもよく分からないけど、Twitterで紹介しているモノは、何をつくっているかも明らかだし。だいたいクリエイターってなにかを作っていないと死んじゃうのでアウトプットが必ずあるんです。そういう人って、自発的に何かをやるひとですしね。(VRデバイスを指さしながら)オモチャを与えるだけであとは勝手につくっていくみたいな...そこからいくつかを僕が選んで「これ商売になるね」っていう判断をして、今度はそれをベースにしてお仕事をしていくというのがいいですよね。実際、弊社でいまやっているプロジェクトはそのように生まれてますし。彼が実験的に作ってきたものを企業に見せたことで「面白いね」ってなって、「では、このIPを絡めてこうしましょう」という流れで事業として具現化したりするんです。

――どんなプロジェクトがスタートしたのですが?

近藤:DK1の時代にはじめたのがKADOKAWAとのプロジェクトでした。

藤原:ああ、やりましたねー。

近藤:ただこのときは検証用プロジェクトだったので外には出てないんです。そのとき、THETA(※RICOH THETA-360°カメラ、以下、THETA)も無い時代だったので、GoProを使用して360度映像をDK1向けに作ったんです。

――ということは御社の最初のプロジェクトは実写系VRということですか?

近藤:コンテンツ開発はどうしてもお金がかかってしまうので。アセットも必要ですし。となると動画で撮ったほうが楽なのではということで実写系VRに落ち着きました。そのつながりで実写VRをやろうということになり、Redbullとつながったんです。そしてはじめて当社の実績として外に示せるコンテンツとしてリリースしたのが、Redbullのための展示イベントとしてプロデュースした『Red Bull X-Fighters World Tour 2014』です。Redbullもこれまで、DK1のコンテンツを見せてきた会社の1社でした。「イベントでVR出したいですね」という提案だったので、バイクのヘルメットのうえにGoProを装着して、モトクロスバイクで運転してもらいました。空中一回転とか。2014年5月に大阪ではじめて公開し、11月には沖縄、翌年4月には香港へと巡回しました。

――御社のスタッフだけで開発したのですか?

藤原:さすがにそれはありません。撮影は株式会社HOME360 の中谷さん(同社代表取締役中谷孔明氏)にお願いしました。

――そのようにVR技術に関する活動の幅を広げていった後の反応は?

近藤:2013年の8月には桜花一門さんと一緒にOculus Festival Japanというイベントを秋葉原で行いました。その際に、「MikuMikuAkushu」を出したんですが、かなりバズりましたね。それを見たドワンゴの人からニコニコ超会議に出してくれという依頼が来て、2014年のニコニコ超会議に出すことにもなったんです。

――その他にどんな人からアプローチがありましたか?

近藤:経済産業省の外郭団体である財団法人デジタルコンテンツ協会が主催するデジタルコンテンツ協会の須藤さん(※須藤智明氏、財団法人デジタルコンテンツ協会技術部部長)ですね。

――DCAJですか!デジタルコンテンツに特化した協会ですよね!

近藤:その須藤さんが僕にTwitterのDMでアプローチしてくれたんです。彼らが2013年のデジタルコンテンツエキスポの企画をしている際に、同団体と交流があるVR研究の権威、稲見昌彦氏(※東京大学大学院 情報理工学系研究科教授)からOculus Riftが流行っているというのを聞いて、その第一人者を調べていたら僕が出てきたということらしいんです(笑)。

――DC EXPOといえば国内最大規模のデジタルコンテンツに関するカンファレンスですよね!

近藤:で、さっそく須藤さんにお会いして、個人的に開発していた『MikuMikuAkushu』を体験してもらったら、「すごい、すごいっ」って大興奮して、是非、登壇してくれっていうことになりました。

――すごいですね。

近藤:当日はハコスコの藤井直敬氏とご一緒したりしてましたが、そのときに『MikuMikuAkushu』も特別展示させていただきました。

――反響はどうだったんですか?

近藤:なんか、一番人気になったということらしいです。アンケートの回答数自体がすごく増えたということでした。僕らのコンテンツはアンケートに回答すると出来るということにしていたので。だから、『MikuMikuAkushu』を体験するために来た人がそれだけ体験してアンケートを置いていくというのもあったみたいです。

――いままで、DCAJのイベントに来たことが無い人たちが来たという…

近藤:当日は台風だったのに。ミクファンがいっぱい来たんです(笑)。午前はそうでもなかったんですが、午後からどんどん人が増えて人気コーナーになってました。 あと、このときに出会ったのが、後に弊社の社員となる荒木だったり(※株式会社エクジヴィエクゼクティブ・アシスタント荒木氏 )

――次々に面白い方が集まってきますね!Production I.Gさんの 皆さんともであったのはこの頃でしたか?

近藤:『MikuMikuAkushu』が既にあったときですからこの頃ですね。村濱さんが、恵比寿で新年会を開いていてそこに招待されたのですが、そこで、VRのデモをやっていたのでその頃だったと思います。それ以外にもたくさんの方々とお会いしました。村濱さん人脈だったと思います。その後、先方のオフィスも訪問させていただいてVRについて話しました。以降、直接お仕事でご一緒することはなかったのですが、いい刺激にはなったようです。

――なるほど。この頃の心境はどのような感じだったのでしょうか?

近藤:この頃になると、頭の中ではOculusが日本に来てもらえるようにするにはどうしたらいいか考えるようになりました。Oculus Japanが設立される様子もないので、日本でOculus Riftがちゃんと発売されるかも不安になってきたんです。危機感のようなものを感じるようになっていて。そこでUnity Technologies Japanにいる伊藤さん(※伊藤周氏)がカナダのUNITEに参加しているときにTwitterで実況するなかでOculus担当者に直接聞いたところOculus Japanは今は無いよって言っていたんです。同時に当時、KADOKAWAにいた池田さん(※池田輝和氏、現Oculus ジャパンチームPartnerships Lead)と話を進めていてOculus向けコンテンツの開発について思案していたのですが、11月末ごろに、池田さんから2014年1月のConsumer Electronics Show2014(以下、CES2014)で新型のプロトタイプ(後のDK2となるCrystal Cove)が発表されるので見に来ないというお誘いを受けたんです。パスポートも切れていたのですが、慌てて3日か4日で急きょ再発行の手続きをして、航空券も当時高価になっていたのですが購入し、池田さんたちと一緒にいきました。

当時のOculusブースは非常に小さかったんですが、ブース担当者と話していたら、なんと、パルマー・ラッキーがブース内にばーっと入ってきて、「KADOKAWAって『ソート・アート・オンライン』(以下、『SAO』)の会社だよね!」と言って僕らに話しかけてきたんです。彼はアニメオタクで、『攻殻機動隊』や『初音ミク』も大ファンだとは聞いていたんですが。で、彼はVRのことは全く話すことなくゲームやアニメの話だけで終わってしまいました(笑)。

あと当日、THETAの第一世代機を持ってきていたので、それで一緒に撮影したりしているうちに、またどこかにいってしまいました。結局ビジネスの話はゼロでした。まあ、創業者っていうのはけっこうそういう傾向にありますが。そこで僕らはビジネス担当と話をしてここでのOculusとの会合はそれで終了しました。そうこうしているうちに、次は、シアトルのSteam Dev Daysというイベントでパルマーが話すという情報を得て、米国在住の知人にお願いしてチケットを入手し、すぐに会いにいくことにしたんです。ただ、飛行機などの関係で一度日本に戻らなければならなかったので、CESでの出張終了後、一旦日本に戻りまたとんぼ返りのように今度はシアトルへと向かいました。

――それはもったいないですよね!

近藤:せっかく一旦日本に帰国したので、パルマーがアニメ、とりわけ『SAO』が大好きということで献上品として『SAO』のグッズを持っていくことにしたんです。当時、ちょうど1番くじの懸賞が『SAO』グッズだったので、それを箱買いして、グッズを入手、さらにフィギュアなども購入したうえで箱に詰め込んでもっていたんです。そこで、パルマーに会ったときは、「君の好きなものを持ってきました」と伝えて、グッズを提供すると「Thank you、Thank you」と喜んでくれたので、あらためて日本でOculusを展開したいという意向をその際に提案しました。そこである程度の関係を築き上げることが出来たんです。

――なるほど

近藤:次にパルマーとあったのが2014年のGDCでした。そのときも話す機会をもらって話し、そこから帰国したときにFacebookによる買収が明らかになったんです。その次パルマーとあったのが2014年、日本で開催されたUnity TechnologiesJapan主催のカンファレンス、UNITEでした。Unity TechnologiesJapanの大前さん(※大前広樹氏)が基調講演にパルマーを招き、来日することになったのです。実は私も個人的にパルマーにメッセージを送ってアプローチはしていたんです。なんと、彼は単身で日本に来ました。レトロゲームが好きと聞いていたので秋葉原のスーパーポテト(※中古ゲーム販売店大手)や六本木、そしてニコファーレに連れていったりしました。なんかアメリカ人はみんなスーパーポテトが好きになるらしいですね。パルマーもゲームボーイのソフトとかを買っていたようです。ポケモンもすごく詳しかったですね。この時期はずっとDK2を触っていたわけですが、解像度の向上や位置トラッキングの追加で機能が各段に改善されたという実感はありました。ただ、まだこれで儲けてやろうとい意識よりは好奇心をもって触れているという感じでした。

――UNITEには出展もされてたんですよね?

近藤:はい。クリプトン・フューチャー・メディアやUnityに許可をもらって『MikuMiku Akushu』を展示していたんです。隣はViteiの村上さん(※村上雅彦氏、当時はリードアーティスト、後にVitei Backroom代表取締役を経て現Skeleton Crew Studio代表取締役社長)が『The Modern Zombie Taxi Co』のDK2対応版を出展してました。そこに新さん(※Yomuneko代表取締役社長 新清士氏)がひょいっと表れて、『MikuMiku Akushu』を体験したんです。そのとき、僕はブースにいなくて、ウチのスタッフが対応したのですが、あまりにも感動したようで、ずっとそこにいて握手をし続けたみたいなんです。本人に聞くと、その場でDK2をオーダーして、帰宅後もニコニコ動画で『初音ミク』の動画を探していたらしいです(笑)。で、その後、自身のコラムで「あと何センチでミクに届くのに!」というような記事を書いてました。 やっぱり、実在感がとんでもなかったんでしょうね。なんか、それまではVRに対するイメージが悪かったらしくて...「私は酔う」みたいな...「相性が悪い」とかいろいろなメディアで話していて、僕らも悩んでいたんです。なので、よくTwitterで、僕や、Unity Technologies Japanの伊藤さんや、今はgumiにいる野生の男さんと(※渡部晴人氏、VRゲーム『The Gunner of Dragoon』開発者)とかと「どうしたらいいのか」って作戦会議をしてたぐらいでした(笑)。

――笑

近藤:ですが、『MikuMiku Akushu』によって新さんもVRに対して「酔う」というイメージから「キャラクターに恋が出来る」というイメージに変わっていったんです。この後、彼は『Mikulus』も見つけてきて、それもプレイしたんです。DK2が発売されてからすぐに『Mikulus』のDK2版も出したので。その後、新さんも目覚められていろんな人にOculus Riftを見せ始めたんですよね。なので、『MikuMiku Akushu』でビビッて...でも『MikuMiku Akushu』は別デバイスが無いと出来ないので、『Mikulus』がダウンロードできるようになってから、エヴァンジェリストのようになってそれを皆に見せ回るようになったみたいなんです。

――実際、DK2向け『Mikulus』はいつごろ発表したんですか?

近藤:わりと早かったですね。先ほど説明したアメリカの出張時にCrystal Coveを特別に入手して、ハンドキャリーで持ってきたんです。それで開発は進めていたので。

こちらはDK2の前のバージョンにあたるOculus Rift HD Prototype

――そういえば、『Mikulus』が実績として、会社のホームページにはあがっていませんが...

近藤:あれは完全に個人プロジェクトなので入れてないんです。逆に、それがご縁となってクリプトン・フューチャー・メディアさんとも繋がりが出来、会社のプロジェクトとして正規にスタートした案件もあります。

――GOROmanさんとして一番の代表作を会社ホームページに出せないのは皮肉ですね。

近藤:『Mikulus』も『Miku Miku Akushu』も個人的な趣味で作ったものですからね。

ーーなるほど。

※(次ページ)デモ開発、そして経営者からFacebook社員への転身
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《中村彰憲》

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