『ドラクエIV』あの時の自分は「デスピサロ」だった・・・! 涙を滲ませた最終決戦で剣を向けた理由を、今改めて振り返る【特集】

泣いたゲームは数あれど、『ドラクエIV』での涙は、いつもと少し違う涙でした。当時抱いた気持ちを、今改めて振り返ってみます。勇者は、二度泣いた。

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『ドラクエIV』あの時の自分は「デスピサロ」だった・・・! 涙を滲ませた最終決戦で剣を向けた理由を、今改めて振り返る【特集】
『ドラクエIV』あの時の自分は「デスピサロ」だった・・・! 涙を滲ませた最終決戦で剣を向けた理由を、今改めて振り返る【特集】 全 17 枚 拡大写真
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本記事には『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』のネタバレが含まれています。


◆涙の理由を知っているか。俺には分からないが──



そこからの冒険は、第1章から第4章までのメンバーと出会い、エスタークやデスピサロの打倒に向けて邁進する日々でした。あの時の喪失感を抱え、復讐心を原動力としながら、ラスボスを倒して世界に平和を取り戻す。シンシアを失った時のような苦しさを、もう誰も味わわなくていい世界にするんだ。そう考えていました──イムルの宿屋に泊まるまでは。

残虐な魔王としか思っていなかったデスピサロに、大事な存在「ロザリー」がいた。そして、彼女が流した涙はルビーになるため、そのルビーを欲した欲深い人間たちから虐待を受けていたことを知ります。


「それが、人間を憎むようになった理由なのか?」と考え始めたら、冒険を邁進する手がやや鈍くなっていきました。・・・といっても、そこで完全に止められなかったのは、これもやっぱりゲームとして面白かったからなんですが。罪作りですね、『ドラクエIV』は!

ともあれ、デスピサロに憎しみだけを向けられなくなり、気持ちの整理がつかなくなった頃、事態はまた更に転換期を迎えます。そう、ロザリーの誘拐です。人間達に連れ去られたと聞き、慌てて探しに向かいますが、どこにも見つからず。一縷の望みを託して、もう一度イムルの宿屋に泊まります。


夢という形で見たのは、ルビーを欲した人間達から再び虐待を受けるロザリーの姿。その人間たちはデスピサロの手で葬られるも、ロザリーは「どうか野望を捨てて、私と・・・」と最後の願いを口にしますが、想いに応える間もなく絶命。そこでデスピサロは、人類の根絶やしを誓うのでした。

──この時流れた涙に、筆者はまだ名前を付けることができません。かつての勇者がシンシアを失ったように、ロザリーを失ったデスピサロ。もう、憎いだけの存在ではなくなりました。愛しい相手を奪われた喪失感。彼女の願いを叶えられなかった罪悪感。復讐に邁進することでの逃避。誰かを憎いと思う気持ち。その全てが他人事ではありません。

そこに、「奪われて苦しいと感じる心があるなら、なぜ奪った!」という憤りが加わり、言葉に出来ない想いが涙となって溢れます。もう、デスピサロをどうしたいのか、自分でもさっぱり分かりません。


ですが、ひとつだけ気づいたことがありました。復讐に駆られる彼の姿は、シンシアが殺された時の自分と何も変わらないと。あの時の自分は、今のデスピサロと同じなのだと。そのことに気づいた時、単純な復讐心に縋ることはもう出来ませんでした。

◆勇者だから魔王を倒すんじゃない──デスピサロと戦う、極々個人的な理由



この夢を見た後、当時の筆者は、世界中の街や村を巡って宿屋に泊まりまくりました。なぜかと言えば、「新しい夢が見られるかもしれない」と思ったからです。あの夢の後のデスピサロがどうなったのか、その手がかりを掴み、彼に会うために。結果から言えば、その行動はまるで無意味でしたが、「なんとしてもデスピサロに会わねば!」という一心での足掻きでした。

でも、会ってどうするのかと聞かれれば、当時の自分は答えられません。デスピサロはシンシアの仇であり、その怒りはやはり残っています。しかし、復讐心で倒したい、という気持ちはなくなりました。救われて欲しいとも思いますが、取り返しのつかないことをし過ぎているのも確か。様々な状況とまとまらない感情は、はっきりとした答えを見つけられず、しかし大きな情動だけでデスピサロを追い求める日々が続きます。


感情が原動力となったこの行動は、「きぼうのほこら」へと一同をたどり着かせ、そして最終決戦の地へと導きました。そこで出会ったのは、変わり果てた姿をしたデスピサロ。進化の秘宝の影響か、勇者たちを見ても「何も 思い出せぬ」と語るだけです。しかしその一言で、筆者の勇者は答えを見つけました。自分なりの答えを。

シンシアを奪いながら、自身も奪われた喪失感に苦しみ、ロザリーとの思い出まで捨て、復讐の炎に身を焦がすことを選んだデスピサロ。そんな彼に勇者が剣を向ける理由は、「殺す」や「倒す」ではなく──「止める」でした。


かつてデスピサロにもあったはずの、ロザリーとの幸せな日々。そこから遠く離れすぎた彼を、あの場所に帰すことが出来ないならば、せめてこれ以上離れさせたくなかった。あの時の筆者は、デスピサロを、ただ止めたかったんです。

そして止めるのは、止めていいのは、彼と同じ思いをした者。それは自分であり、デスピサロに苦しめられた全ての人間。そう、苦しんだ人間が全員「勇者」なんだ、と。


この「勇者」たちとデスピサロの戦いは、やはり胸に迫るものがありました。目尻にも、涙が滲みます。けれどもグッとこらえ、画面に飛び交うダメージの応酬を睨み、攻撃と呪文を織り交ぜて戦闘を続けました。この戦いは、悲しさや憎しみが理由じゃない。だから泣くべきじゃない、と言い聞かせて。勇者は三度泣かない。

泣かなかった勇者は、そこで悲劇の連鎖を断ち切りました。デスピサロは、もうどこにも行かなくいい。

◆これほど驚いた『ドラクエ』はなかった──! ちょっと違う意味で、リメイク版に救われました



これが、筆者とデスピサロの物語であり、『ドラクエIV』で流した涙の理由でした。プレイした人にとっては、それぞれの想いや捉え方、そして結論があるのだと思います。これはあくまで、子供だった当時を思い出し、今の自分が言葉として整理したものに過ぎません。

なので、ここからはちょっと蛇足となります。戦いを制し、平和が訪れた世界で、ゲーム内ではエンディングが始まりました。仲間達はそれぞれの場所へ戻り、最後に残った勇者は──やはり、あの場所へと帰ります。待つ人は誰もおらず、無惨な姿のままの村へ。でもその行動は、当時の自分の気持ちとマッチしており、納得のいく歩みでした。


全てを終わらせ、何もなくなった村に立つ勇者。ここから何を始めるのか、それとも終わったまま過ごすのか。「どっちもでいいかな」なんて、そんな気持ちでThe Endの文字が出るのを待っていました。

──なのに! まさか! あんなことになるなんて!! ネタバレ注意の記事とはいえ、さすがに結末について記すのは忍びないので伏せておきますが、クリア済みの皆さんならご存じでしょう。とんでもないご褒美が訪れたことを!


もちろん嬉しい話なのですが、あんな感じで最終決戦を(自分勝手に)盛り上げてしまった自分としては、「なんか、こっちだけゴメン、デスピサロ・・・」と、こっそり謝りながらThe Endを見つめるばかり。ある意味、この体験もあったから『ドラクエIV』が忘れられない一作になったのかもしれません。涙がどうこうとか言って、恥ずかしい!


そんな体験から時間が随分経ち、PS向けにリメイク版『ドラクエIV』が登場。更なる展開を描く新ストーリーが追加され、一部のファンの間で賛否が分かれました。ちなみに筆者は、賛成や反対といった意見以前に、「こっちだけ先にご馳走食べててごめん、そっちにも来て良かったよ!」という安堵の気持ちでした(笑)。

筆者にとって色んな思い出があり、皆さんにも皆さんだけの思い出がある『ドラクエIV』。この30周年を機に、あなただけの思い出を振り返ってみのもオツですよ。



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《臥待 弦》

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