「スーパーファミコン」本日11月21日で30周年! 90年代を駆け抜けた名機に想いを馳せる─「最初の人生の転機」「コントローラを抜かれた」など、在りし日の思い出と共に

ヒロインに好きな女の子の名前をつけたり、泣きながら遊んだり・・・読者の鮮やかな思い出もご覧ください。

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「スーパーファミコン」本日11月21日で30周年! 90年代を駆け抜けた名機に想いを馳せる─「最初の人生の転機」「コントローラを抜かれた」など、在りし日の思い出と共に
「スーパーファミコン」本日11月21日で30周年! 90年代を駆け抜けた名機に想いを馳せる─「最初の人生の転機」「コントローラを抜かれた」など、在りし日の思い出と共に 全 3 枚 拡大写真

国内における家庭用向けゲーム機の歴史は、1970年代から始まりました。そして、「ファミリーコンピュータ」(1983年)が登場したことで、80年代に一大ブームが巻き起こります。

その勢いを引き継ぎつつ新たなゲーム体験を提案した「スーパーファミコン」は、ライバル機と切磋琢磨しながら、国内外で大きなヒットを記録。この名機が登場したのは、1990年11月21日のこと。今日でちょうど30周年を迎えました。

この記念すべき日を祝い、名機について振り返ると共に、読者から届いた「スーパーファミコン」の思い出や忘れられないスーファミソフトなどを紹介させていただきます。読者の想いを通じて、当時の記憶を思い出してみてはいかがでしょうか。

◆真打ちは後からやってきた! ライバル機をごぼう抜きした実力派ハードは、多彩な活躍を見せる


ファミコンの発売から数え、スーパーファミコンが登場するまでに7年以上の開きがあります。この7年の間に、様々な家庭用ゲーム機が登場。特に大きな存在感を示したのは、「PCエンジン」(1987年)や「メガドライブ」(1988年)でした。

後発というアドバンテージを活かし、どちらのハードもファミコンを上回る性能を持っていました。その長所を活かし、これまでファミコン一強だった家庭用ゲーム機の縮図に大きな影響を与えます。そんな群雄割拠な状態で90年代を迎えたゲーム業界は、スーパーファミコンによって更なる活気を迎えました。

この3つのハードはそれぞれ強みが異なり、後に拡張機器でCD-ROMに対応したPCエンジンは、容量の大きさを活かしたアニメシーンやボイスの導入などを強みにして、特に国内で根強い人気を獲得しました。

一方メガドライブは、こちらも拡張機器によるCD-ROM対応が行われたものの、その展開以降もカートリッジタイプのゲームに人気が集まり、コアなゲームファンに好かれるハードに成長。国内ではPCエンジンに一歩譲りますが、海外では大ヒットを収めるなど、いずれも個性が見える活躍ぶりを見せます。

そこに切り込んだスーパーファミコンは、PCエンジン・メガドライブから2~3年の遅れを取っており、計画はあったもののCD-ROM展開も実現せず。こういった点だけ取り上げると不利なようにも思えますが、実際のところはかなりの大躍進を見せます。

任天堂が公開している情報によれば、スーパーファミコンの販売台数は4,910万台(全世界累計)。これは、海外で成功を収めたメガドライブすら上回っており、新世代のゲーム市場を代表するハードと称しても過言ではない成果です。また、販売されたゲームソフトの本数も3億7,906万本と、こちらも堂々たる記録を残しました。


少しだけ残念なのは、ハード・ソフト共にファミコンを下回っている(6,191万台/5億1万本)点ですが、多くの方にとってファミコンのゲーム体験は“初めての刺激”でした。ファーストコンタクトの衝撃は、それだけで凄まじいものがあります。その意味では、ファミコンもまたスーパーファミコンのライバルだったのかもしれません。

販売の数字ではファミコンにこそ及ばなかったものの、同世代では頭ひとつ抜きんでた活躍を見せ、スーパーファミコンが90年代前半のゲーム業界を力強く牽引します。

スーパーファミコンの特徴と言えば、ファミコンから進化した性能だけではなく、周辺機器によるゲーム体験の広がりも外せません。ファミコンとの互換性こそありませんが、ゲームボーイソフトが遊べる「スーパーゲームボーイ」は当時画期的な存在でしたし、「マウスコントローラ」による絵描き体験なども大きな注目を集めました。

また、書き換えることで新たなゲームを安価に楽しめる「ニンテンドウパワー」は、今の時代で言えばダウンロード販売に近いサービスかもしません。さらに、衛星放送サービスを利用し、ゲームを配信する「サテラビュー」も、家庭用ゲーム機の新たな時代を感じさせる先進的な展開でした。こういったサービスや施策の多彩さも、スーパーファミコンの人気ぶりや注目度の高さを示す証と言えるでしょう。

新たなブームを巻き起こしたスーパーファミコンは、時代を象徴するアイコンのひとつとなり、多くのユーザーの手元に渡りました。そこから生まれた出来事や思い出は、まさに千差万別。記憶に残るあの日々は、忘れがたいものばかりです。

この30周年に向け、読者から様々な思い出が届いているので、一部ではありますがこちらで紹介させていただきます。

【読者の声】(一部抜粋)
・幼稚園の年長の誕生日に父が買ってきてくれた最初のゲームハード。最初の人生の転機。今は私がゲームを作る側です。
・小学生の時にお年玉を貯めて初めて買ったテレビゲームがスーパーファミコンでした。残りの冬休みにずっと遊んでいたのは良い思い出です。
・今もいろいろなコンシューマ機を持っていますが、一番触ったのも楽しかったのも記憶に残ってるのもスーファミです。
・弟と「超武闘伝2」で遊んでいたら、負けが続いてイライラしていた弟に、コントローラーを引っこ抜かれました。
・ニッポン放送の番組プレゼントで本体もらいました。届くのが待ち遠しかったあの日。
・電源を落としたら終わる、コードに触れたら終わる。何にもしなくても終わる。無情さに躍起になったりやめ時を悟ったりした。
・ドラゴンボールZスーパー武闘伝を小学生の頃友達と対戦しまくって指に豆ができました笑笑
・友人の家に泊まり込み、寝る間も惜しみ、永遠と4人で桃電をし続けた思い出が。学生時代はなんて暇人だったのだろうか…。今はオンラインでゲーム内で集まるのでしょうが、同じ空間で、ワイワイギャーギャードタバタと騒ぎながらプレイできたことは、今では宝物です。
・カービィボウルの対戦で友達に「そこでコピー能力使わないの? 男じゃないぞ!」 と魅せプレイを誘導し、お互い煽りながらプレイしてたのが楽しかった。
・小さいときから家にあったゲーム機で、兄が遊んでいるのをよく見ていました。
・先に手に入れた友人の家で、『スーパーマリオワールド』『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』『ファイナルファンタジーIV』などを共に謎解きしながら楽しんでいました。
ファミコンやSEGA Mk-IIIしか触った事の無かった同士なので、SFCの明るい発色やキャラのコミカルな動き、ドラマチックな演出…「とんでもないゲーム機だ…!」という体験を出来たのはとても貴重な体験でした。

・マリオがやられるとピーピー泣いてスーファミを蹴ってしまい、そのたびにセーブデータが消えてしまっていた。
・お兄ちゃんに負けて悔しくて怒って。たくさんやったけど、結局わざと勝たせてもらって怒ってた。家族で楽しんでました。
・仲良くなりたかったグループの子がやっていたゲーム『大貝獣物語』で倒せないボスがいると聞いて、俺倒せる!とやった事もないのに嘘ついて家に遊びに行き倒した事。そのあと仲良くなれた。
近所の友達とは、ロックマンXで如何にアイシーペンギンゴーにノーダメージで勝つか競った。
クロノトリガーを遊んでいた夏休み・・・全クリしたらこの先の人生楽しみがなくなるの本気で悩んだ。




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《臥待 弦》

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