※本記事は、「岸辺露伴」が活躍する各種作品の一部内容に触れます。ご注意ください。
1986年にスタートし、主人公や掲載誌を変えながら、揺るがぬ人気で今も連載が続く「ジョジョの奇妙な冒険」。その活躍は漫画だけに留まらず、アニメ化にノベライズ、多数のTVゲーム化も果たすなど、目を見張るものがあります。
その広がりは作品単体だけでなく、「ジョジョの奇妙な冒険」の登場人物のひとり「岸辺露伴」に焦点を当てたスピンオフ漫画「岸辺露伴は動かない」を生み出しました。こちらも、漫画だけでなく短編小説化などの広がりを見せており、特に近年は本作の実写ドラマ化が注目を集めています。

ドラマ版の「岸辺露伴は動かない」は、原作の持ち味や凄みを絶妙な手腕で実写映像に落とし込むと同時に、主人公の岸辺露伴役を務める高橋一生さんをはじめとする俳優陣の熱演も光り、ファンの多くを魅了する完成度と高く評価されています。
漫画でも実写でも、読者と視聴者を魅了してやまない岸辺露伴。本作を知らない人からすれば、「これだけ多くの人から愛されているなら、さぞ好人物なのだろう」と思われているかもしれません。

ですが実際の岸辺露伴は、ひどく身勝手で自己中心的。一般的な正義や倫理観も薄いため、好人物という言葉とは真逆のような存在です。もし身近にいれば、これほど迷惑な人もそうそういないでしょう。
普遍的な少年漫画の主人公像とは全く異なる岸辺露伴は、しかしなぜ多くの人に愛され、親しまれているのでしょうか。その謎に対する答えは、「岸辺露伴は動かない」に触れることで得られます。
■岸辺露伴、子供相手にも容赦なし!
人気漫画家である露伴は、漫画の執筆とその取材に人生の大半を費やしています。スタンドと呼ばれる特殊な能力を持ち、その関係で「ジョジョの奇妙な冒険」では過酷な戦いに挑む場面もたびたびありました。
その中の一幕で、露伴はある少年にジャンケンを迫られます。少年は敵が放った刺客のひとりでしたが(※漫画版の設定)、それが判明するのは後々のこと。まともに相手をせずにあしらっていると、少年の主張はエスカレートし、露伴が座ろうとしていた座席を先取りするなどの挑発行為を繰り返します。
少年の行為は明らかに煽っており、不快に感じるのは確か。ですが、やむにやまれずジャンケンに挑んだ露伴は、少年との勝負に勝利すると「勝ったぞざまあみろッ!」「生まれてこの方…ジャンケンで勝ててこんなにうれしかったことはないよ!」と、喜びをあからさまに表現します。
そして最後には「どきなッ! 小僧!」と少年を追い出し、座席に勢いよく座る露伴。いくら煽られたとはいえ、あまりに大人げない台詞と態度です。
■取材のためならルールも無視!

また、露伴が主人公を務める「岸辺露伴は動かない」は、「ジョジョの奇妙な冒険」と違ってバトルは決してメインではなく、取材などで出会う奇妙な事件や現象に立ち向かい、そして迎える意外な結末が主軸となってます。
日常に潜む非日常を描くことが多いため、露伴の人間性が直接描写されやすく、眉をひそめたくなる言動も容易に見つかります。例えば、漫画版の第1話目となった「懺悔室」では、イタリアの教会を訪れた際、禁止されているにも関わらず懺悔室を撮影し、無断で立ち入ってしまいます。
「体験はリアリティを作品に生む」という欲求に抗えなかった露伴ですが、そこで彼を神父と勘違いした人物から、罪の告白を受けるという事態に遭遇しました。
誰にも話せなかった自分の罪を、懺悔という形で明かす。その苦しみと葛藤に耳を傾けていいのは、神父のみ。露伴が耳にしていい内容ではありません。しかし露伴は、この出来事を「ラッキー」と考え、あまつさえ「自分が神父じゃないと名乗り出るのは、逆に悪いことでは!?」と都合のいい理屈で自分の行動を肯定します。
神父側の部屋に入ったのは完全な偶然だったとはいえ、一般的な規則をたやすく破り、他人のリアルな人生を覗き見る機会があると飛びつき、罪悪感を抱くどころか喜びすら感じてしまう──そんな露伴の人間性が、「岸辺露伴は動かない」の第1話で早速浮き彫りになっています。
このほかにも、漫画のネタになると判断したら対象の迷惑など一切考慮しませんし、断られたら嫌味や皮肉で切り返してしまうなど、作品の随所で唯我独尊ぶりを発揮する岸辺露伴。社会人としても、正義の味方としても、色々な意味で「難アリ」な人物です。