【ネタバレ注意!】『The Last of Us Part II』プレイ後感想文集―クリア後解禁でいろいろ語ってもらいました

【ネタバレ注意!】『The Last of Us』Part II』を課題に、ライター陣に「感想文」を書いて頂きました。

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【ネタバレ注意!】『The Last of Us Part II』プレイ後感想文集―クリア後解禁でいろいろ語ってもらいました
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本記事には『The Last of Us』及び『The Last of Us Part II』のネタバレが含まれています。ご注意ください!

2013年の『The Last of Us』から7年。その続編である『The Last of Us Part II』が発売されました。その衝撃的な展開から、PS4世代最後の傑作、あるいは問題作、前作に及ばない凡作と、賛否入り乱れる様々な評価が下されました。納得がいったにせよいかなかったにせよ、プレイヤーの心に深い爪痕を残したのは確かであり、何かしら語らずにはいられない、そんな作品だったのではないでしょうか。

そこで今回は「あのシーン、どう思った?」をテーマに、読書感想文ならぬ「ゲームプレイ感想文」をライター陣から寄稿してもらいました。クリア後の内容を含めて、それぞれ思ったこと、感じたこと、率直な意見を、レビューとは違った視点から綴っていただきました。

ここから『The Last of Us』及び『The Last of Us Part II』のネタバレが含まれています。ご注意ください!

Bridiman:復讐には理由がある。彼女たちの痛みを知って何を思った?


私が『The Last of Us Part II』をプレイして印象に残ったシーンは、本作のテーマともいえる「復讐」を描いている場面です。特に序盤のジョエルがアビーに撲殺されるシーンはショックが大きかったです。あのジョエルが、残酷かつ衝撃的な最期を迎えるとは正直考えていませんでした。

アビーの父はジョエルによって殺されており、それが原因で復讐をするという理由は、本編をクリアした今では理解しています。しかし当時プレイしていた私は、アビーに対しての感情移入なんてものは全くなく、ジョエルへの拷問は、目を背けたくなるくらい悲しいシーンでした。


衝撃的な展開だったのであまり内容を信じていない部分があったのですが、この描写を観て、改めてジョエルはもう生きていないのか、と痛感しました。


エリーがオーウェンとメルを殺害し、後にアビーが死体を発見することになるのですが、このシーンはエリーを操作している時は、復讐を果たすために、仕方のないことだと割り切りプレイしましたが、アビー視点でこのシーンを観ると、彼女にも少なからず感情移入はしているので、「やってしまった…」と思いました。しかし、アビーがジョエルに対して行った拷問とは訳が違うので、アビーが好きではない理由のひとつではあります。

また、アビーの表情から読み取れる「怒り」と悲しみ」は、私には嫌なくらい伝わってきました。また復讐が始まってしまうと…。


どちらが「正義」なのかは結論の出ないことだと思います。ただ本作をプレイして感じたのは、復讐は憎しみを生むだけということ。エリーが最後、アビーを殺さなくて良かったと私は思います。

このような復讐劇を描いた『The Last of Us Part II』は賛否両論ありますが、私は、ひとつの作品として楽しむことができました!

まげま:博物館と水族館



正直なところ、『The Last of Us Part II』をクリアして思ったのは「回想シーンが多すぎる!」でした。

回想シーンを挟む意味はわかるのです。エリーとジョエル、アビーと彼女の父親との親子関係を対比として見せたかったんだと思います。ただ、その構成は、ゲームというより海外ドラマのようで、プレイヤーキャラクターを動かし、フィールドを探索し、アイテムを拾い、武器を持って敵と戦うアクションゲームとは相性が良くないと感じました。この回想シーンの挿入によって「この先にいる敵と戦いたい」という欲求を取り上げられているようでストレスに感じました。

さて、かなり批判的に本作の回想シーンについて述べましたが、実は、本作で印象に残ったシーンはその回想シーンなのです。

前作ファンとしては、エリーとジョエルは親子としての関係を続けることができたのか、親子の時間を謳歌できたのかが気になっていたので、エリーとジョエルが廃墟と化した博物館に訪れ、そこで親子のように緩やかな時間を過ごすシーンを見た時、心が洗われるようでした。

親子の時間は短いものだったかもしれませんが、筆者としてこのシーンは、「前作のジョエルの選択は正しくはなかったが、それでもエリーは救われて自分の人生を謳歌している」ように見えたのです(これについては今後の展開で議論が分かれると思いますが)。


余談ですが、筆者は同時期に『あつまれ どうぶつの森』をプレイしていたので、両作の博物館に展示されていた恐竜の化石についても注目しました。両作には、同じ種類の恐竜の化石が展示されており、比較して楽しむこともできました。特に、本作ではカメラ視点を変えられるので、『あつ森』では見られない角度から恐竜の化石を鑑賞できるのです。

同じものをふたつのゲームで比較するのは楽しかったですね。

Skollfang:エリーとアビーの対決



霧が立ちこめる夜明け前の浜辺、満身創痍の二人が最後の意地を賭けて闘う。「もうやめて」と、あのとき誰もがそう思ったことでしょう。仇討ちの鬼となったエリーと、レブを守るだけが生きるよすがとなったアビー。誰も幸せにならないと分かっていても、「やらなければならなかったこと」。それはまるで白熱灯に引き寄せられる「蛾」のように、大切な人間を失った二人が行き着いた因果の果てでした。


自縄自縛に苦しみながら前に突き進むしか出来ないエリーを見て、私は仏教の「阿修羅」の姿が彼女に重なりました。というのも、アビーが訪れた中華街でセラファイトの女神が現れたとき、観音菩薩を連想したからです。

元々阿修羅は家族を愛する善神でしたが、帝釈天に娘をさらわれて陵辱されてしまいます。これに激怒した阿修羅は帝釈天を相手取り、何度も凄惨な戦いを挑みました。世に言う「修羅場」ですね。

しかし帝釈天は力を司る神。阿修羅は勝つことが出来ません。さらに、阿修羅の娘は帝釈天を許し、正式に妻となると決めていたのです。それでも阿修羅の怒りは収まらず、その結果、敗北した阿修羅は展開を追われてしまうのです。

仏教において、この物語で最も悪いのは娘を奪われた当の阿修羅だとされています。理由は「相手を赦す心を失ったから」。始まりは義憤であっても、情けや哀れみを持たない正義は悪に転じる。トレーディングカードでも、ヒーローとヴィランに明確な境目はなく、状況や環境で曖昧になると書かれています。エリーも本当は宇宙を夢見る少女でいたかった、バッグのピンバッヂがそれを象徴しています。


武器を捨てた殴り合いの決闘は一番のクライマックスですが、これほど悲壮に満ち、痛みが伝わってくる闘いがあったでしょうか。勝っても負けても世界が救われたりしない。決着など付けたくないのに、そうせよとゲームシステムが迫ってくる。プレイヤーの感情とゲームプレイが引き裂かれる強烈な「二律背反」こそ、『The Last of Us Part II』のハイライトであり、ゲームでしか成立し得ない「表現」ではないでしょうか。


衆生の人間は弱く、誰かの手を借りなければ悪から抜け出すことは出来ません。アビーにはレブがいて、憎しみの手を先に止められた。エリーはディーナを遠ざけたから、身を滅ぼすまで止められなかった。しかし最後に止めさせたのは、他ならぬジョエルの存在だった。彼はエリーの鬼子母神であり、また仏だったのかもしれません。

阿修羅は後に戦いを悔い、仏を守る守護神に迎えられました。そこから弾き始めた琴は、悪神とは真逆な極上の音色を奏でたと言います。旅を終えて全てを失ったエリーに、どうか救いの手が差し伸べられてほしい。今はそう願うばかりです。

春井メイゾウ:全てを捨てて、全てを失ったエリー。その結末をどう感じた?



"君を失ったら、我を失ってしまうだろう"

ジョエルがはじめてエリーに贈った歌は、そんな1節からはじまりました。過酷な旅の果てに全てを失ってしまったエリー。物語の最後に彼女が抱いた感情は、いったいなんだったのだろう―。

この文章を綴るにあたり、筆者は再びあの農場に降り立つことにしました。初プレイ時は海辺での壮絶な死闘に心がやられてしまい、気持ちに整理がつかないままエンディングを迎えてしまったからです。「最後、エリーはどういう気持ちで森に去ったのだろうか」――その真意を探るとともに、改めて彼女の旅立ちを見守るためにコントローラーを握ります。


しかし、ボロボロになったエリーの後ろ姿が画面に映し出されるや否や、初見時の記憶がよみがえり感情がざわつきはじめました。誰もいなくなった室内をエリーが見渡す場面になると本格的に辛い状態に。ああだめだ、可哀想でもう見てられない……そんな情けない筆者とは違い、エリーは現実から目を背けることはせず、愛する者が去ってしまった部屋を真っ直ぐ見つめていました。

二階へ上がり、ジョエルのギターに手をかけるエリー。劇中で幾度となく歌いかけるものの、最初の1節の後を紡ぐことができずにいたジョエルとの思い出の曲『Furure Days』。椅子に腰掛けてギターをかまえますが、物語のラストになっても歌うことはできませんでした。そもそも指を二本失った状態ではまともに弦を押さえることすらままならないのです。

"トラウマを克服して歌えるようになる”という展開を期待していたわけではありませんが、ただでさえ感情が高ぶっていた初見時には「ジョエルとの思い出の曲すら奪うのか」と気分が塞ぎました。ただ、今改めて見ると作品のテーマとしてはこれでよかったのかもしれないと思い直しました。なぜなら旅の間ずっと、この歌はエリーを縛りつけていたからです。


"君を失ったら、我を失ってしまうだろう"

不器用な愛情が込められているのと同時に、物語全体に漂う"復讐”というテーマを示唆させる最初の1節。ジョエルや自身の指、そして愛する女性ディーナなど、何もかもを失ったエリーですが、我を無くすほどの憎しみに囚われていた彼女の姿はもうありません。ジョエルとの"Furure Days"に別れを告げた瞬間、本当の意味で復讐の旅は終わったのだと思います。


家を出て、一人森へと足を進めるエリー。部屋に残されたギターは、まるでジョエルが宿っているかのように優しく彼女を見守っています。ぼやけたエリーの背中からはその感情を読み取ることは難しいですが、なんらかの意志を感じさせる歩みであることは分かります。

「いっそのこと森へ行き、虫に浄化してもらうこともできる。鉄のにおいが消えるまで、真っ白く、脆いものとなって姿を見せられるようになるまで」

アビーとの死闘のあと、農場に戻る前にエリーが日記に書き残したディーナへの罪悪感と強烈な自己嫌悪。真っ白く=「骨」と言い換えるならば自殺をほのめかしているとの解釈もできますが、ディーナがすでにエリーの元から去った今、筆者の中でそれは真逆の意味を持ちはじめました。

――まっさらな白紙の状態から、もう一度自身の人生を生き直すための再出発。

エリーが最後に抱いていた感情は、憎しみでも、絶望でもなかったはずです。これ以上エリーが傷つかないでほしいという筆者の自分勝手な願望に過ぎないのかもしれませんが、ゼロから歩き出そうとする彼女の後ろ姿に、そんな思いがこみ上げました。

どうか、もう一度笑って過ごせる日々がエリーに訪れますようにーーギターとともに部屋に残された筆者にできることは、彼女の"未来"を祈ることだけです。



「感想文」というと苦手意識を持っている人もいるでしょう。ですが本来は模範解答を意識したり、点数を付けられたりするものではありません。素直に自分が思ったことを言葉にしたためるだけでいいのです。文章でまとめると考えがまとまりますし、新しい発見もあります。

『The Last of Us Part II』は一人ずつ異なる感想を抱き、またそれを誰かに語りたくなる作品です。とても一言では語り尽くせない感想を、短いつぶやきではなく長い文章で綴ってみてはいかがでしょうか。
 

《Skollfang》

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