
この春に事務所を移籍し、新たなファンクラブを設立したりするなど、新人のつもりで精力的にこの1年を全力疾走したという桃井はるこさん。
これまでも声優・歌手・文筆家・作詞作曲……さまざまな分野でマルチに活動してきましたが、2025年はメジャーデビュー25周年ということで、おもにライブ活動や8年ぶりとなるCDのリリースイベントなどで多くの笑顔が見られました。
自身では初となるブロマイドの販売やボイスメッセージを吹き込む特典会など、新たな試みにも積極的に挑戦し、2025年はまさに「新しい桃井はるこ」が見られた年になったのではないでしょうか。
そこで本稿では桃井はるこさんに25周年記念となるインタビューを実施。これまでどのように夢を叶えて来たのか、どのような方針で活動してきたのか、作詞・作曲で大切にしている想いなど、その足跡を辿りつつ目指す未来をうかがいます。
(取材・文:気賀沢昌志、写真:小原聡太)

◆夢を叶えるコツは「自分の強みを活かす」

――桃井さんは高校生の頃に雑誌「GREAT SATURN Z」でライターデビューし、ライフワークとして現在も続くトークライブ「はるこの秘密」をスタート。深夜ラジオ「小野坂・桃井のバーチャラジオ電脳戦隊モモンガー」や、テレビ朝日系列で放送された「D's Garage 21」などにもご出演され、2000年5月にシングル曲「Mail Me」でメジャーデビューしました。
2025年はそのメジャーデビュー25周年となったわけですが、当時は今のように多方面でご活躍される姿はどれだけ想像していましたか?
桃井はるこ(以下、桃井): 25周年を迎えられるなんて夢にも思わなかったので、想像以上のものを皆さんに与えていただいたなと思います。
「Mail Me」をリリースした2000年は今ほど様々な情報伝達手段がなく、お届けできる方法と言えば、メジャーレーベルからCDを出して全国のCD屋さんに並べてもらうとか、ラジオで流してもらうとか、そういう形に限られていました。そんな中で「とにかく多くの人に自分の音楽を聴いてもらいたい」と思いながら、ようやく「Mail Me」をCDという形で出すことができたんです。
その後、秋葉原の店頭で美少女ゲームのプロモーション動画が流れていることに注目し、「秋葉原のお店の、ただでさえ印象的な楽曲に負けないようなインパクトのある曲が作れたら、そのゲームはもっと広まるんじゃないか」と考えて、現在「ULTRA-PRISM」のギタリストとして活躍する小池雅也さんと「UNDER17」を結成する流れになりました。それは私にしかできないことだと思いましたね。
――その頃は「こういう方針でやって行こう」みたいなヴィジョンはあったのですか?
桃井: メジャーデビューをきっかけに方針を決めたというよりは、それ以前から自分の強みを活かそうと思って活動していました。たとえばメジャーデビューに際しても、当時はオーディションを受けるしか方法がないような時代です。でも私はオーディションを受けている自分の姿が想像できず、何か別の手段があるのでは?と考えました。そこで閃いたのがマルチメディア方面の強みでした。昔から秋葉原に通っていましたし、ガジェット類やパソコンに親しんでいましたからね。
――桃井さんは高校生の頃に秋葉原のジャンクショップでアルバイトをしていたそうですが、その頃の秋葉原はまだ「アニメ・ゲームの街」というよりは「電気の街」の色が強かったんですよね。
桃井: そうですね。もともと私、メジャーデビュー前はライターとして「月刊アスキー」でずっと連載させていただいていたんですよ。「月刊アスキー」はパソコン関係の月刊雑誌ということで、毎月CD-ROMを付録にしていたのですが、ある時「容量が余ってるから、連載を持っている人は何か好きなことをやっていいよ」と。
それで「いろいろな人に聞いてもらえるかも!」と思い、自作の楽曲を収録してもらったんです。そういう感じで、自分の得意な領域でどうにか楽曲を世に送り出せないか、ずっと模索していました。

――そもそも、桃井さんはなぜ楽曲制作をはじめたのですか?
桃井: もともとは「アイドルに楽曲提供する」というのが小学校からの夢でした。私自身が女性アイドルファンですし、現場にも数え切れないほど通っていました。
――その夢は、メジャーデビューの2年後に早くも叶いました。アイドルグループ「Ace File」のグループ内ユニット「Ace Fileくしよし」への楽曲提供です。
桃井: 凄く嬉しかったですよ! 確か対バン(複数のアーティストが出演するライブイベント)で「Ace File」の皆さんとご一緒した時に、「Ace File」側のスタッフさんとそういう話になったと記憶しています。それで小池雅也さんと一緒に楽曲を制作しました。「UNDER17」を結成する前の話ですね。
――楽曲提供は1曲ではなく、ミニアルバム「5・7・5・7・7」に収録された全6曲分とかなり多めだったんですよね。
桃井: もともと「Ace File くしよし」は、「Ace File」のメンバーのひとりが学業に専念することになり、期間限定のユニットとして結成されたものでした。解散が決まっていましたから、収録曲の「いちごいちえ」という楽曲もそれをイメージして作ったんです。
あと当時はプロのスタジオで収録したことがなく、作業面でも初めての経験を多くさせていただきましたね。業界用語もそこで教えていただきましたし、ただただ興奮しましたよ。たとえば微妙に音を上げることを「髪の毛一本上げてください」と言ったりして(笑)。
ホールで行われた解散ライブでファンの皆さんが振っていた赤と白のペンライトを今でもよく覚えていますよ。とても感動しました。
メンバーの吉川茉絵ちゃんはその数年後に復帰して「Ace Fileくしよし」の楽曲を今でも歌ってくれているのですが、そうやって大事にしてもらえる楽曲が作れて嬉しかったですね。やはりアイドルに楽曲を作るのは今でも夢です。
――「楽曲制作が夢」ではなく「アイドルに楽曲提供をするのが夢」とピンポイントで夢を抱いていらっしゃいますが、そうまで思わせる「アイドル曲」の魅力とは?
桃井: 「提供してもらう」という部分が良いのかなと思います。アイドルはひとつ上の世界の存在で「選ばれし人々」です。その特別な存在がプロの作った良質な楽曲を歌うというのがいいんです。すごく贅沢な娯楽だと思います。日本独自の文化なのかなと思いますし、そういったものに憧れてきました。
――その想いが現在プロデュースされている「純情のアフィリア」にも注がれているのですね。
桃井: そうですね。私自身が女性アイドルファンなので、ファンが求めているものも分かっていますし、どういったコミュニティにしたいかということも理解しているつもりです。それはDJみたいなものですよ。その場に合ったもの、求められているものを、ファンの目線でも考えられるのが私の強みかなと思っています。
あとは女性であることも強みでしょうか。「純情のアフィリア」の共同プロデューサーである志倉千代丸さんが作る楽曲とは、やはり性別の違いもあって差別化できていると思うんです。それが結果的に「純情のアフィリア」というグループの音楽性の幅を広げていると思います。
――その時その時で創作の着眼点は変わるかと思いますが、基本的な楽曲制作のスタンスはどこに軸足を置かれているのですか?
桃井: 「流行を追いかけないこと」ですね。ありがたいことに最近は対バンをする機会が多く、アイドルたちがどのような楽曲を歌うのか間近で拝見しています。その時に、「この楽曲だとこのアイドルはこんな輝き方をするんだな」みたいなことを思うんですよ。
それは流行のリサーチというよりは、「音楽をどのように楽しんでいるか」の確認ですね。私ならどんな楽曲であの笑顔を引き出すか、どうしたらファンの皆さんに「いつもと違う、こんな面が見られて楽しかった!」と思ってもらえるような楽曲にするか。そういったことを考えています。

――ここまでお話をうかがって思ったのですが、桃井さんは自己プロデュース型の人間なのかなという印象です。
桃井: ところが意外とそうでもないんですよ。頼りたい人間ですし、実際頼り切りです(笑)。全部自分でやりたいというよりは、さまざまな意見を参考にしたいです。
新曲「NewGame+」(ニューゲームプラス)も、「25周年なんだから桃井さん、CD出すよね? 記念ワンマンライブやるよね?」というモモイスト(ファンの総称)の強い想いがあり、「8年もCD出せてないし、これはやらねば!」と奮起したという経緯があります。
やはり切羽詰まった状況になると、誰かが背中を押してくれるような、「縁」みたいなものに恵まれるんですね。今回も関係者に伝えたらトントン拍子で話が進みましたし、助けてくれる人のおかげです。
――「NewGame+」については、月に一度の公開収録番組「モモーイ党せーけん放送」か何かで、「久しぶりに正統派の曲にした」みたいなことをおっしゃっていましたね。
桃井: 自分が思う「J-POPの良いところ」を表現しようと思ったんです。あと私のシングルの中でも、たぶん一番BPM(Beat Per Minute/音楽のテンポ)が遅いと思います。
――そうなんですか!? 疾走感があり、ライブで盛り上がりそうなパワフルな曲に感じました。
桃井: ところが「LOVE.EXE」が141で、「NewGame+」は128なんです。でも大きな会場で歌うと映えると思いますよ。いつか大きな会場で歌いたいですね。
(次ページ「モモーイフェス」の実現の可能性は?)

